柳家蝠丸「鬼娘」

ブログのネタが切れたときに重宝なのが浅草お茶の間寄席。あと2席ぐらいはネタのストックがある。
たまの登場を楽しみにしているひとりが柳家蝠丸師。

鬼娘とは?
四代目柳家小さんがこの噺を高座で掛けた直後、楽屋で倒れ、そのまま息を引き取ったという。
珍品の多い蝠丸師のことだから、てっきりその噺なんだと思ったら、全然違った。
四代目が掛けた新作落語と同じタイトルの噺がある、ということではないようだ。蝠丸師の高座は、漫談である。
16分の漫談なのだが、しみじみと激しく(どっちなんだ)楽しいので取り上げることにした。
形式的には漫談だと思うが、妙に地噺(演者の語りで進める噺)っぽい。
漫談と地噺の違いはなにか。学術的な定義でもなんでもないが、客へのサービスのため一生懸命脱線ギャグを入れるのが地噺じゃないかな。
蝠丸師はとてもシームレスに世界を行き来する人なので、こんな定義は無意味だが。
「昔懐かしい鬼娘という噺」と最後に語って頭を下げる蝠丸師。少なくとも、こういうタイトルでもってやっていた歴史は芸協にあるみたい。

浅草お茶の間寄席は、あくまでも寄席の一部を切り取ったもの。
収録も大事だが、どの噺家もまず、目の前の客のために噺を選択する。
ただ、蝠丸師が高座で語っているところによると、比較的静かな客と、テレビの両方を満足させるための選択らしい。

静かな客だと演者は言うのだが、私にはむしろいい客に思えるが。
浅草だと、一生懸命笑い声をあげている客や、やたら拍手を入れる客などが目立つ。そんなのよりずっといいと思う。
私が席にいたら好ましいと思うに違いない。
そんな席を、激しい噺を使ってではなく、ジワジワと乗せていく。

蝠丸師の「鬼娘」とはなにか。
師の修業時代(50年前)、今とは比べ物にならないぐらいひっそりとしていた浅草にあった、見世物小屋の実録である。
面白いなと思ったのは、基本が「一眼国」のマクラとしてたまに聴くエピソードなのだ。
三遊亭好楽師から、「小遣いをもらって子供の頃見にいった」話として、二度ほど聴いたことがある。
そして林家正蔵師も、落語研究会で出した一眼国で語っていたはず。正蔵師は、お姉さん(海老名みどり)に連れていってもらったという。

一眼国自体、たびたび出る噺ではない。まさに、静かないい客の前で出す噺だろう。
そのマクラの芯が、みな共通している。
個人的な体験に、皆さんそれぞれ噺家共通の財産を乗っけているらしい。

鬼娘とは、見世物小屋に出るキャラクター。
親は殺生をする猟師。その因果が子にむくい、生きた赤ん坊をかじらずにはいられない女。
そして鬼娘のエピソードが出る際には、必ず蛇女も出る。蛇女のほうは、どんな見世物なんだかよくわからない。

下北半島から、高校卒業後すぐ上京し、前座修業をする蝠丸師。
修業していた頃、浅草にあった見世物小屋に、つい招かれて入り込んでしまう。客はひとりだけ。
蛇女と1対1のエピソードを、客の少ない寄席になぞらえて語る楽しい蝠丸師。
最後まで観たら、蛇女が丁寧に礼を述べたと。
まるで中身のない話を、適度な緊迫感と適度な緩さを両立させた語りに乗せる。実に不思議な持ち味だ。
蝠丸師、「考えながら話している」と自ら語っているのだが、その割には本当にセリフが詰まることは全然ないな。虚々実々の噺家だ。

まさか50年後、超ベテラン噺家になった際に当時のことを話すとも知らず、強烈な見世物小屋体験をした後で、師には夜席の、楽屋の仕事がある。
前座として開口一番で一席やったら、客席に蛇女がいたのだという。
すべてがフィクションでも別にいいのだけど、本当にこんなことありそうだ。
終演後、蛇女にお茶をごちそうになったのだと。

好楽師からは、見世物小屋の鬼娘の口上を聴いたが、同じようなセリフが蝠丸師の口から発せられる。
しかも蝠丸師は、好楽師の師匠である彦六のモノマネでこれをやる。
鬼娘の前に連れてこられる餌としての赤ん坊は、乞食のところから借りてくるというのも同じ。
赤ん坊を食べようかどうしようか、独り言を言う鬼娘。お腹がいっぱいだから後にしようか。
静まり返った客席からサクラがすかさず声を掛け、ならやめとけばいいじゃないかと。しかも他の客に同意を求める。

好楽師は、我々の先輩はよく見世物小屋の手伝いをしていたのだと語っていた。
蝠丸師は好楽師より後輩だが、「私、二ツ目時代にアルバイトしたことがあるんです」。ホントかな。
昔はなにしろ噺家には仕事がなかったからと。手伝いの具体的な中身は語らなかったが。

この後一眼国に入るパターンもあるのだろうか。それなら、トリで出せるが、どうだろう。

今はもう、世の中が健全になったからインチキ見世物小屋なんてなくなり、それを喜んでいた客もいなくなった。
見世物小屋がなくなるとともに、一眼国のマクラで話せるひとも減っていくのだろうか。それとも、経験したことのない吉原を語るように、今後も残っていくのだろうか。
若手では柳家花飛さんが一眼国掛けていたが、昔の話はなかった。

作成者: でっち定吉

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