雑司が谷ワンコイン落語会の雷門小助六(上・初天神)

きょう日曜日は雑司が谷の落語会へ。
夜は家でVIVANTの最終回観なきゃ。
雑司が谷ワンコイン落語会は、役所がやってる安い会。ここは2年ぶりで、その際は台所おさん師だった。
会場は副都心線直結だが、私は目白駅から。

今回は雷門小助六師。
いまだに成金がフィーチャーされる(悪いと言ってるわけじゃない)芸術協会だが、その上の噺家こそ大事だと思っている。
私が強く着目しているのが、小助六師と、三笑亭の可風、夢丸両師。
小助六師は最近までよく知らなかったが、昨年から三度聴いた。
その演目が、虱茶屋、鼻ねじ、はぬき。
なんじゃそら。
というわけで、珍品派のイメージ。
だが今回、イメージがガラリ変わった。
メジャーな演目ばかり3席。いずれもすばらしいものでした。
そしておととい「編集」について書いたばかりであるが、小助六師もまた見事な編集達者だなと。
ただし、客の度肝を抜く編集ではなく、実にさりげないのが持ち味。噺の背景に漂う空気感を調整するのが師の演出。
もちろん上手い人だと思うから来ているのだが、私は師の実力の半分もわかってなかったのだった。
所作や踊りが上手いとか、そんなのは枝葉の問題に過ぎない。

初天神
へっつい幽霊
(仲入り)
抜け雀

3席、すべて30分。
初天神と大ネタ2席が同じ時間とは。

学校寄席のマクラ。
平凡だなと思いながら聴く。
学校寄席など参加したことはないが、その逸話を語る噺家は実に多い。
結局、高座から得た知識が脳内にたまっているので、噺家あるあるみたいな感じで聴く。
だが、平凡なエピソードは、徐々に変質していく。
よく聴くあるあるネタと、ちょっとだけ違うのだ。
エピソードも若干違うし、当然こうだろうと思うオチも常にちょっとズレてくる。気が付くと、じわじわと貯金が。
いちばん最初に振った携帯小噺もまた、そんな雰囲気。
浅草の客席で小助六師の高座の最中、電話に出た婆さんがいる。
ここから予想されるオチが、やっぱりちょっとズレている。このズレの心地よさ。

懲役ごっこから初天神。
羽織から始めるのに、実に軽やか。
一つ一つの場面の描き方が、短いのだろう。短いけどしっかり描く。
そして、各場面を決して強調しない。寸前でやめていく。

初天神では、落語協会でもだが、芸協では本当に1年じゅうやる噺。
ということは、この前座噺を教えてくれるひとはたくさんいるはずなのだ。
なのに、柳家さん喬師の雰囲気が漂うのはなぜだろう。よその協会の師匠からわざわざ教わる噺だろうか?
懲役ごっこと、河童のくだりが実にさん喬師っぽい。
もっともそこを除くと、特に後半は誰からも聴いたことのないムードだった。
正確に言うと、多くの人から聴いていそうなムード。でも、ワンアンドオンリー。なにかが違う。

金坊は自分のことを「ぼく」と言う。意外と新鮮。
河童もよーいよーいも飴も団子も入っているのに、すべてが軽やかに進行していく。
そして親子は、決して対立しない。若手がよく勘違いして、親子を喧嘩させると面白い噺だと思っているが、大間違い。最近もそんな勘違い初天神を聴いた。
そのダメな初天神だって、出どころを遡るときっと同じなんだけど。
金坊の悪さもごく軽い。団子のシーンで大声上げるぐらい。
基本極めて仲のいい親子なので、約束を破ることになるが飴も(親父のせいで)食っちゃったことだし仕方ないな、ぐらいの感覚で、親父も買ってやるのだ。

熱中症なのか、外の明治通りを救急車がよく通る。
飴を落とした金坊に、救急車みたいな泣き声を上げさせ、その伏線を回収するのは面白い。もっとも、そんなのが目立つ芸じゃないんだけども。

凧にも進む。金坊が、お腹もいっぱいになったので運動しようと持ち掛けるのだ。
長いのに、噺の隅々まで気持ちがいいもので、まるでダレたりしない。
大ダコを欲しがる金坊対策で、親父は凧屋に目配せであれは看板だよな、と呼びかける。
しかし凧屋、わかってるくせに「売ります」と強調。この演出は初めて見た。

いやあ、高い実力の現れる一品。
若手は、小助六師から初天神を教わるべきだと思う。噺家として間違った方向に進まなくて済むかもしれない。
落語協会の若手も教わるといい。師匠がそう考えないと教われなさそうだけども。

続きます。

 
 

作成者: でっち定吉

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