雑司が谷ワンコイン落語会の雷門小助六(中・へっつい幽霊)

そういえばこの会の冒頭、主催者挨拶とともにお詫びがあった。
高座の上にぶら下げた提灯について。
右(上手)から「雑司が谷落語会」と1文字ずつ描かれているのだけど、本当は左(下手)から並べるんだって。
手違いがありましたとのこと。言われなきゃ常連客も気にしなかったと思うが。
あと、2年前とは違う会場で、若干広かった。

もうひとつ、最初に高座に上がる際の小助六師、座布団を90度回転させていた。
気づかなかったが向きが違ったみたい。
この会も長いことやっているようなのだが、座布団に向きがあることを知らない人が置いてしまえば、それまで。

初天神を終えた小助六師、再度学校寄席でよく見せる、手拭いと扇子を使った所作の話。これまた、脳内学校寄席あるあるからちょっとズレている。
そして名古屋、大須演芸場の話。
今でこそきれいな寄席になりましたが、当時は時代がついた寄席でした。
芸協で大須演芸場を借りた際、楽屋に鍵が掛からないもので、誰か一人寝泊まりすることになる。この役目を果たす小助六師(当時、花助)。
すると、お囃子のおねえさんに脅される。
夜は賑やかなほうがいいわよね、賑やかになるかもしれないわ。あなたの高座のとき、上手に長い髪の女の人がいたのよ。その人そのあと出てこないのよ。
いろんなことがありましたがナイショです。

というわけで、へっつい幽霊。まだ暑さの残る初秋とは、最適の時季ではある。
ああそう。今月も日本の話芸の収録で聴いたのだけど。
その結果、私はへっつい幽霊が好きじゃないということを再確認したのだ。その噺とは残念だ。

だが、これが実に楽しかったのだ。驚いた。
別に、私がよりベターと思っている、若旦那の出ない短いバージョンだったわけではない。
先日いささかうんざりした権太楼師への批判になってしまうがもう、仕方ない。
うんざりしたのは、「もういいよ」ということ。
若旦那が吉原の思い出をいつまでも反芻して「つねつねつね」とかやってるあたり。
だが江戸前の小助六師、あらゆるシーンを手短に描写していく。
「道具屋道具屋」の繰り返しギャグもなく。
するとどうだ、この噺、楽しい!
ひとつのへっついが繰り返し戻ってくるさま、怖いものなしの熊さん、カネもないのに遊びたい若旦那、せっかく300両ためたのにふぐに当たる幽霊、一世一代のバクチに敗れて嘆く幽霊、すべてがもう楽しいのだ。
小助六師のように普通にやればいいのだ。まあ、口で言うほど難易度低くない高等テクだろうけど。
「引き算の美学」なんて気軽に言うが、引き算しまくったら本当になにも残らなかったりするんだから。そんな一席、想像するのは実に容易。

へっつい幽霊が楽しくて、聴きながらもう、感激していた。
小助六師、残したクスグリも、極力残らないようさらっと語る。
残さない工夫が、着実に噺になにかを残していく。

ばくち打ちで、胆力この上ない熊さん、優男っぽい小助六師には描けそうにはない。
だが、高座の最中そんなことは一切気にならない。
物語が自立しているのもあるし、細かいテクでいうなら幽霊のほうをビビらせておけば一丁上がり。
実際はそんなことを思う前に、高座の上にちゃんと肝っ玉の据わったばくち打ちがいるのだけど。

この日朝から若干二日酔い気味だった。
夜はVIVANT最終回を観ながら、アルコール度数0.9%のブローリープレミアムラガーを飲んでいた。
これ、世に多いノンアルコール飲料と違い、ちゃんとビールの製法で作っているから旨いんである。
これがまさに小助六師の芸ではないかなんて。
苦さや甘さ、香ばしさ、そんな要素が強調されているわけではないのだが、いつまでも飲めるしいつまでも旨い。
飲みすぎてもグズグズにならない。
アルコールをいかに抜くか(あるいは発酵を止めるか)がすなわち技術の見せどころ。

小助六師は、客に積極的に高座に参加するよう呼び掛けている気がする。
といって、露骨なやり方ではない。少しずつヒントを出すのだ。
先の初天神における、親父と凧屋のやり取り(話を合わせろ、という顔とその裏切り)。
最後の抜け雀では、気の弱い亭主に対しおかみさんが軽く二の腕をまくって従わせる。
スルーしてもいいのだけど、こうやって少しずつ参加を促している気がする。

続きます。

作成者: でっち定吉

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