雑司が谷ワンコイン落語会の雷門小助六(下・抜け雀)

キレのいいへっつい幽霊に感激。
小助六師は過剰にギャグを入れる誘惑には駆られない。そもそも古典落語自体楽しいんだから。
昨年2席、今年も1席聴いた噺。みなベテランだったが、今回の小助六師が一番よかった。
といって、「若々しい芸」として感服したわけじゃなくて(若々しいんだけど)、小助六師もまたベテランっぽい。
1時間座っても足がしびれないことがわかりましたと自画自賛。

仲入り休憩を挟んでもう1席。
残り20分。ちょっと時間オーバーして長講だった。
旅を振って、駕籠かきを振る。
一瞬小間物屋政談にでも入るかなと思ったが、サゲのフリの必要な抜け雀だった。
これもまた、へっつい幽霊と方法論が似ている。ギャグはさほど入れない。
むしろ、クスグリ多めのこの噺から、極力抜いているようである。

へっつい幽霊も抜け雀も、超常現象を扱った噺という点は共通している。
だが小助六師、どちらも日常として語る。
雀が絵を抜け出てくるんだから、もっと驚いたっていいのだ。本当は。
しっかり驚きはするのだけども、過剰な反応は避けて先を急ぐ。すると噺が軽やかになり、後に残るのは超常現象が日常である世界。
実に落語らしい。

小助六師は、長講でもって「ダレない」ことをかなり重視しているように思われる。
といって急いている感じはない。場面ごとの描写をやりすぎないことにより、どこまでも軽快なのだ。
だから、長講を続けて聴いても疲れない。

宿屋・相模屋の主人は同業者に抜け出る雀のことを話すが、彼らは微妙な表情で見返すだけ。
これだけで、ストーリー展開からなにから全部語れてしまうんだからすごい。
そして、客が噺に自主的に参加するため、満足度も高くなる。
先を急ぐにしても、ちゃんとやり方というものがあるのだ。
その結果、たびたび耳にしているのに、一度も聴いたことのない噺が浮かび上がる。逆説的だが本当だ。

人物の感情の起伏も抑えられ気味で、相模屋の喜怒哀楽も少ない。記号的になる、こういうのが好きなのだ。
本当は感情が存在しないわけではなく、ただ描写しないだけなのだが。

スピーディな展開と裏腹にさりげなく付け加わっている部分もある。
旅の絵師は二度目に立派な身なりで来た際、酒はやめたと述べている。

いやあ、すばらしい3席でありました。
珍品でなくスタンダード演目を続けて聴いて、この師匠のイメージがかなり立体的になった。そして、独演会に向いた人であることも。
キャリアはそこそこ長い真打の小助六師だが、まだ41歳と若い。
こんなに上手い人だとは。これからもっと名を成すに違いない。
芸術祭(大賞)受賞のイメージなのだけども、なくなっちゃったからなあ。

終演後は色紙の抽選会。
こういうの、えてして主催者が頑張ってダレがちなのだけども、スピーディでよかった。すぐ終わる。
これも師のプロデュース力かもしれない。

しかしどうやったら小助六師みたいな噺家になれるのだろうか。師匠の育成の方法も気になる。
クスグリ少なく、展開を平面にする落語は、仕上がれば見事だが、なかなかそこへ行きつかないであろうに。
若くして入門することのメリットだろうが、たぶんなんでも素直に吸収してきたのだろう。マクラではトンガった話もするけれど、でも。
そして、決して我を張らない。
ウケてやりたいとか、上手いと言われたいとか、アイツは最近ウケてるとか、こうした昏い欲望を昇華できてこそなんだと思う。

いつにない大きな満足で帰途につきました。なにもここまでいい会と予想してたわけではない。
毎週のように落語を聴きにいっているが、それでもなお揺すぶられて高揚することがあるものだ。

ちなみにこの会、500円で安いのも嬉しいけども、そこらの2,500円取る会よりも雰囲気いいかもしれない。
落語のしみじみ好きな人が集っているのだ。
また来ます。
次回は11月19日で、柳家勧之助師。
小助六師、「次回は柳家花ん謝師匠です」って言ってましたけど。

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作成者: でっち定吉

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