寄席の出番とその役割(上)

今や1日800人がやってきて、月のPV6万の当ブログにも、おぎゃーと生まれた黎明期があった。
2016年ごろである。当時はYahoo!ブログ。

繰り返し出している話なのだが。
同じYahoo!ブログをやっていた年配の落語ファンが、「落語を教えてやる」モード全開で、しばしば私のブログにコメントを付けていくのだった。
どんな世界にも教え魔がいるものだ。
まあ、マウンティングに対して考えるいいきっかけにはなったけども。
実生活でマウントを取られることは、私は少ないと思う。
教え魔は、人に乗っかって反応を得て、気持ちよくなりたいだけだ。そういう対応をしてくれない人間だということが、本能的にわかるのだろう。
だが、顔の見えないSNSでは、私も乗っかってこられるのだ。
この人が、当時は落語ブログ界隈では1位だったはず。

この人と同じ寄席、同じ会場にいたことが数回あった。
一度、池袋の新作台本まつりの会場にもいたようである。
そこでこのMr.マウント、ある噺家の新作を酷評していた。
ところが同じ会場にいた私はというと、前座から新作で爆笑をかっさらうこの寄席において、ちょっと落ち着いた噺を掛けたこの演者を高く評価したのだった。

このとき初めて「勝った」と思った。
本質的に、落語の鑑賞に勝ち負けなんかないことぐらいわかってるさ。それに「負けた」なんてシーンは考えづらいわけで。
当時そう強く思ったのは事実だから仕方ない。

寄席はフルコース。
トリの師匠のためにあっためておく。一人だけ突出せず、調和をもたらすのが大事。
静かな席なら賑やかな噺を掛け、盛り上がりすぎていれば地味な噺で鎮静化させる。寄席で育った噺家ならみな内面化されている作法だ。

こういうの、知識としてはだいたいの落語ファンも持ってるはずなのだ。
でも、都市伝説みたいなもんだという認識のファンも多いのではないかな。あまり寄席の出番について触れたブログ記事を見ないものね。
最初から、ひとりひとりが仕事をしていることを想像しながら聴いていると、結構噺家さんの考えはわかる。
時には誤解しているだけかもしれないが、でもいいじゃないか。

寄席のポジショニングについて書いてみます。といいつつ、寄席四場がご無沙汰気味なんだけど。

夜席のトリ

入れ替えなしの寄席、いわゆる流し込みの場合の夜トリについて。
最後に上がる夜トリだって、もちろん他の演者への配慮はある。
その日出た噺とツく噺はできない。これは当然。
お酒は一日一度まで。子供も与太郎も、泥棒も一日一席まで。
昼席の前座から聴いている人が恐らく数人しかいないであろうときでも、これは当然の作法。
新作まつりなんかだと、鉄道落語が先に出ていたりして。
夜席のトリを務めるためには、数多くの噺を知り尽くしていないといけない。大変だ。
まあ、廓噺だったらおおむね大丈夫でしょう。
たまに「辰巳の辻占」ぐらいなら先に出ていることがあるから油断ならないが。

昼席のトリ

昼席も流し込みの場合夜につながっているわけだが、だからといって遠慮する必要はない。
人情噺で満足させきって、客がああよかったここで帰ろうとなっても、それは仕方ない。
ひとつ昼ならではの仕事がある。「当席は入れ替えございませんので、どうぞごゆっくり夜席までご覧ください」ぐらいは伝えてほしい。

ヒザ

ヒザは寄席の場合、色物さんが務める。
誰にでも務まるポジションではない。あまりに激しい芸は、トリの師匠を食ってしまいかねない。
だから、にゃん金先生はベテランだけどヒザはダメ。
紙切り、太神楽、マジック、三味線等が鉄板。曲独楽なんてのもいい。
芸協ではボンボンブラザースがいつもヒザを務めている。
一方の落語協会、寄席で爆笑をかっさらうロケット団も意外とヒザが上手い。東京漫才はさらっとやって軽く盛り上げることもできるのだ。
軽くといっても、笑いの量を減らすということではない。軽いなりに満足させる必要があるわけで、ネタ選択から考えないといけないから大変ではある。

ヒザ前

トリの前の最後の落語、ここも難しいポジション。といっても、ここに入る人はトリにも入る。
トリの取れない人には任せづらいポジション。
漫談派の人がよくここで軽くやっている印象がいまだにあるのだが、最近は漫談派自体減ったのではなかろうか。
最近は、トリと被らない芸をしっかり見せて、客を飽きさせないのがトレンドに思う。
どうせなら笑いと違う要素がいい。といって怪談はできない(彦いち師の「熱血!怪談部」ならOK)から、珍品など出すと喜ばれると思うのですが。

続きます。

 
 

作成者: でっち定吉

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