亀戸梅屋敷寄席31(下・三遊亭兼好「百川」)

白虎隊だけ有名だが、青龍、玄武、朱雀隊もそれぞれあったのだと兼好師。それは初耳。
ここから四神剣に話を持っていく。国技館にも吊るされてますよと。
日本橋の料亭で本当にあった話を落語にしたものですと振って百川へ。
田舎の話をさんざん振ったあとなので、山出しの百兵衛さんにスムーズにつながるという。
百川への新たな登頂ルートができたようなもんだ。

実は個人的にあまり好きじゃない噺。
好きじゃない理由はわかっている。
噺の前後半で、新人奉公人百兵衛のキャラが変わってしまっているのは大きな欠陥だと思う。
前半は、江戸ことばになじんでいないからのすれ違いで、ほぼ罪はない。だが後半、明らかに百兵衛がアホである。
この奉公人に対する、聴き手の距離感を見失う気がする。
いっそ、後半だけに刈り込んで寄席の15分のネタにしたらどうかなんて思うが、それじゃ物足りないやね。
昔の江戸っ子だったら、田舎者を、距離を見失ず笑えたと思う。地方出身者だらけの現代では、イヤな気持ちになる人だっているだろうし。

しかしさすがの兼好師で、私が疑問に思うような部分は軽々と乗り越えている。
師が、噺に同じ疑問を持っているのだと嬉しくなる。
まず会津のマクラから、語り手が田舎者であることを前面に出しておく。垢抜けた東京人として語るのではなく、今でも地方と地続きであることも。
そして兼好師の描く百兵衛さん、最初からちょいと抜けている。
なにしろ、若い衆に語尾の「うっひゃ」なしでできないのかと言われ、必死でこらえているのだ。
後半のうすぼんやりキャラとのギャップはまるでない。
町内の若い衆も同様で、やっぱり全員抜けている。
本来は、ひとりアニイ格だけしっかりしているはずという前提だろうが、このアニイ格も最初からあまり信用されていない。
アホな奉公人とアホな客がわちゃわちゃやっていて、自然と事件になってしまうのである。
ヒアリング能力に(だけ)長けている若い衆が面白い。そうそう、言ったと裏付けをしてくれるのだが、聴いただけなので中身に責任は負っていない。

女中たちが髪をみんな下ろしてしまっているあたりも、具体的に描かない。
ここ、ベテラン演者ほどかえって説明しすぎる気がしている。
兼好師は、「髪結いが来たので髪を下ろした」とごく簡潔に描く。よく考えたら、新入りの百兵衛さんが接客に出向かなければならないという流れさえあればそれでいいのだった。
さらに上手いのは、若い衆が執拗に人を呼び、主人がそれに逐一「ただ今」と返答している部分。
あ、もういい加減行かないと大変だという気持ちが客に生まれるのである。百兵衛さんでもいいから行かないと、となる。

くわいのきんとん丸呑みして目を白黒させている百兵衛さんだが、ここをあまりかわいそうに描かないのもポイント。
この話は誤解が新たな誤解を呼ぶ構造が面白いのであり、誰も悪くはないのである。
ただ、いずれもちょっとずつアホなだけで。われわれ同様。

改めて、いかに難易度の高い噺を兼好師が(一見)軽々演じているかに気づくと、身がすくむ思い。まあ、そんなことは開演中は考えない。

百兵衛の正体がようやく判明し、後半に進むわけだが、過去聴いた百川の中でここが最もスムーズ。
とんちきな騒ぎこそあったが、別に誰も被害に遭ったわけではないのだ。せいぜい、アホの奉公人を顔役だと誤解してしまったことと、くわいを丸呑みさせられた程度。
若い衆たちもいつまでも怒っているわけではなく、なら次の用事をとなる。

百兵衛さんは、十分わかっているがそもそもちょいとアホである。これが後半に活きる。
アホを送り出す若い衆も、ちゃんと説明を尽くしていなくてやはりアホである。
ごく当然に、芸者と医者の先生を間違える。アホだから、焼酎と生卵を用意しておけという指示にも疑問を持たない。

マクラで木久蔵アニさんを出しているのも、アホの世界構築に貢献している。

ところで兼好師、改めて思ったのだが、登場人物への目線がとても優しい。
一般的には毒舌マクラの人と捉えられているが、正体は真逆。まあ、実はマクラも本当は、一方的な目線から誰かを攻撃するタチの悪い毒舌でないことが多い。
この噺だからこそ分かった気がする。どうしたって、江戸っ子の威勢のいい衆は田舎者に傲慢だ。だが、人を差別するような目線はどこにもない。
目線にすぐ差別が入る噺家もいるからね。人気の噺家にもいる。
これは、兼好師自身が地方出身なのかどうかとは次元の違う話に思う。
ではなんなのかというと、好楽師の弟子だからなのだと思うのだ。

兼好師の描く百川は、別に大事件があったようには映らない。
こんなこともあるよね程度。本当にそんなレベルだったら歴史に名を残さないけど。

兼好師の優しさに改めて惚れました。
精鋭ぞろいの亀戸を、最後に落語界のエースが締めたのでした。

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作成者: でっち定吉

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