昨日のカメクロの記事を、飯田橋のドトールで仕上げてから向かう先は高田馬場・ばばん場。
隅田川馬石独演会。
かれこれ1年、馬石師を聴いていない。定期的に聴かないと。
今月は無料の落語に3回行き、そして500円の落語に2回。
さらに1回は無料の会の予約があり、下手するともう1回行く。
このまま「1回あたりの木戸銭最低新記録」を樹立しようかと一瞬思いもしたのだが、我に返った。
そんな記録樹立してどうする。ばばん場は3,000円。
ばばん場には、鯉八トラウマがある。それ以来。
いやな思い出は上書きしていきましょう。
「水曜ばばでしょう」というタイトルのつく、平日昼間の会。ばばん場に初めて来た入船亭扇辰師の会もこれだった。
行くとカメラが入っている。動画用の収録があるそうで。
豆屋
お見立て
(仲入り)
お直し
馬石師も弟子を採ったし、その弟子が開口一番かと思いきや、いきなりご本人登場。
だんだんと日が短くなって秋はさみしいですね。
キンモクセイのいい香りをかぐとさみしくなったりします。
私も古今亭に連なる身ですね。
今年は志ん生の没後50年の年で。
古いファンの方は、うるさいんですよ。俺は志ん生を生で観たって。
誰も知りませんからね。ご本人が言ってるだけじゃないかと思うんですけども。
しかもだんだんエスカレートするんですよ。俺は志ん生が高座で寝るのを観たって。
志ん生が亡くなったのは昭和48年です。
あたしは昭和44年の生まれなので、4年間は志ん生と同じ空気を吸ってたわけです。
目の前で吸ってたわけじゃないですけど、空気はつながってますからね。
私の師匠五街道雲助は、本当に志ん生の世話をしてました。だから同じ空気を吸ってます。本当に吸ったかどうかは知りませんけど。
雲助は孫弟子ですね。私は曾孫弟子です。
こたつに座ってる志ん生の世話をしていたんです。
志ん生は暇なので、ときどき稽古をつけてくれるんです。雲助は8回ほど稽古つけてもらったそうですが、ほとんどなにがなんだかわからないと。
そのとき教わった噺はちゃんと先代馬生に教わり直したそうですが、たったひとつだけ、だいたい仕上がってる噺があったんです。
発掘したみたいなもんですよ。完全ではないけれど、地中から掘り出した破片をつなげ合わせたらなんとか壺になったみたいなもので。
それが、豆屋なんです。今日は師匠直伝のそれをやってみます。
豆屋はいわゆる逃げ噺ですね。逃げ噺っていうのも定義がよくわからないんですけど。
どこでも切れる噺が続きものだとすると、逃げ噺っていうのはそれでもう完結してますね。一席終えて、逃げるように去っていくという。
豆屋は今あまりかかりませんけど、これがなかなか難しい噺で。
先日、志ん生追悼の古今亭の芝居が新宿でありました。私も前座じぶんに教わってるんで掛けようかと思ったんですけど、勇気がなくて。
新宿のお客さんは厳しいですしね。
今日は独演会に来るような優しいお客さまですから、やってみます。
馬石師はマクラから緩くて面白いよなあ。勢いに任せてじゃなくて、押さえながら喋るのだけども。
寄席でもいい仕事をする師匠だが、独演会だと緩く続くマクラがとことん楽しい。
志ん生ファン同士が、俺が本物のファンだとつかみ合うなんてネタもさりげなく入っていた。
改めて物売りのマクラ。「大根と付くべき文字に付けもせずいらぬゴボウをごんぼうと言う」。
大根とごぼうの物売りの実演は、雲助(のモノマネ)ですだって。
そして芋の売り方3種類。
「芋やさつまいも」。あ、これは圓菊師匠です(くねくねしてる)。
そのまま天秤棒を担いで豆屋へ。
おじさんに言われ始めて豆を売り歩く男、声の出し方もわからぬまま。
ところてん屋のマネをして、なんとか作り上げる。
そして変な長屋に吸い込まれ、ひどい目に遭う。
しかも2回続けて。
といっても、かぼちゃ屋や唐茄子屋政談のような、売る側に着目した噺ではない。
透明な主人公が、ご難に遭うさまを描く。
豆屋の主人公、気弱な物売りはいかにも馬石師の得意そうなキャラ。
だが、暴力的な長屋の住人ふたりも、完全に手の内に入っている。
あまり見かけない、声を張り上げるバイオレンス満載の男たち。すごい迫力。
暴力的な要素を、気弱な物売りは見事に吸収してしまう。
ご難に遭う楽しさが湧いてくる。
そして豆屋は、暴力の楽しさを味わう噺でもある。この点、らくだに近い。
といっても、どれだけ迫力ある暴力を見せつけても、馬石師は客に刺さるようにはしない。
主人公が透明なので、暴力がすり抜けていって、怖い楽しさだけが残るのであった。
馬石師のらくだが聴きたくなった。聴いたことはないが。
軽い一席目からいきなり大満足。それも、面白くないから掛からないとされる噺(落語研究会で出した文治師)でなあ。
いったん高座を返して、袖に帰る馬石師。
熱演しすぎて汗を拭きにいったみたい。
豆屋!最近聞かれなくなった噺の一つですね。貴重な体験になったのではと。
この記事見ながら、いつ以来だろうと思ったのですが、生では昭和54年頃に末広亭で林家こん平師がやったのを聞いて以来聞いてません。
しかもそれを馬石でお聞きになった、ちょっと羨ましいなあと。
しかし、なぜ聞かれなくなったんでしょうね。
うらやましがられて光栄です。
ざる屋はめでたいから出番があっても、豆屋は乱暴だから使いどころがない、そんなところかと想像します。
でも、文中にも書きましたが「らくだ」が流行ってるように思うので、豆屋も出しどころがあるなと今回思いました。
本当に怖く演じてしまう人はダメでしょうが、馬石師だと軽くていいです。