仲入り休憩は短かった。やはり5人出るから大変みたい。
クイツキは三遊亭栄豊満(えいとまん)さん。
円楽党の二ツ目で、この人だけまだ聴いたことがない。神田連雀亭でも遭遇していない。
小動物っぽい人。
マクラなに話してたか忘れた。名前から引き続いて、ウケてたはずだが。
大学で神主の資格を取っているという。伊勢の皇學館大学文学部神道学科卒だそうで。
宗教の話を振って、宗論ではなくて小言念仏。
珍しいですね。
円楽党では初めて聴く。笑点なつかし版で、好楽師が出していたのは聴いてネタにしたが。
そこから来てるのだろうか。
小言念仏と言えば小三治であるが、「どじょやー」で必ず切っていたと思う。
この先があって、柳家緑也師から聴いたことがある。どじょうが煮えるのを見て楽しむ旦那という。
栄豊満さんは、そこまで掛けていた。
どじょうが煮えるのを楽しんで、最後に演者の地で「信心と殺生を一緒にしますという、小言念仏でございます」。
どじょうが煮えるのを喜ぶのが唐突で、ちょっと薄気味悪かった。
そして小言念仏って、いろいろ小言言いながら背景で一定のリズムをずっと刻んでいるのが楽しいんじゃないかと思うのだが、違いますか?
栄豊満さん、ときどき両手を使って、刻むのをやめちゃうんだ。
いつもはクイツキがヒザを兼ねている亀戸だが、今日は別々で三遊亭好志郎さん。坊主頭の高齢二ツ目。
前座の「西村」時代に期待していたこの人、ひと月前に久々に聴かせてもらって満足した。
「ちりとてちん」の中身を自分で作っていた。でっち定吉の定義によると「ラジオ焼き」である。
今日の壺算は、それに比べるとだいぶスタンダードなのだけど、でもスタンダードさがとても面白い。
壺算はもともと話はよくできている。だが、笑わせるのは結構難しいんじゃないかな。なにかしらギャグを追加で入れていかないと持たない噺という印象。
「ギャグが入らないがやり取りの妙におかしい壺算」って聴かないと思うのだが。それこそ、この好志朗さんのがそんな感じである。
最近は比較的聴かなくなった噺な気がする。上方では割とやってるかも。
今日も時事マクラから。
前回もそうだったが、最新のニュースからマクラを作るこだわり。
クマ出没の話とか出してたけど、オチは忘れた。
ぼんやり聴いてたわけではないのだが。まあいい。
壺算というのは、ギャグを入れる場面はだいたい決まっている。
冒頭の、買い物天狗のアニイに同行を頼むあたりなど極めて類型的。
決まった場面に凡庸なギャグを入れていくと、たちまち死にそうな噺。
ではどうするか。好志郎さんは、ギャグを入れるシーンを手短にして、早めにやり過ごしていく。
なのでもたつきがなく、実に軽快。
2荷の甕が欲しい弟分が、アニイのやることにいちいち口出すなんてのはない。
外に出てから、弟分が店の主人を(てめえもよくわかってないくせに)馬鹿にするシーンもない。
そうだ、私はこういう紋切り型の演出が嫌いだったのだ。そういういらないアクセントを刈り込んでいて、とても気分がいい。
好志朗さん、1荷の甕を天秤棒で担いでから、「ちょっと戻ります」。
なにかと思ったら、3円払うシーンを割愛してしまったのだった。3円払って、再び外へ。
客は大喜び。
こういう失敗はたまに見るけど、取り返し方が難しい。失敗したときこそウデが出るというものだ。
私もいきなり脱線するのだが、天秤棒で思い出した。
大東文化大のイベントの対談でもって、書き忘れたことがある。
米團治師が「おうこ」をどう客にわからせるかについて話していたのを。
どうするかというと、「そのおうこ取って」「は」「天秤棒や」とする。
上方の古い「おうこ」という言葉をちゃんと使って、かつわからせるのである。
鶴光師も同じことを話していた覚えがある。「いかき(笊)」なんてのも古いが重要な落語のことば。
さて、1荷の甕を首尾よく2荷に替えた後も、好志朗さんのセンスは光り続ける。
一般的な壺算では、瀬戸物屋の主人が変なスポットに入り込んでしまって出られなくなり、やがては考えられない言動に進む。
でもそんなことしなくていいのだった。
ピンポイントでもって主人を的確に詰めていけば、それで面白いのだ。
主人のギャグは、そろばんを用意させられて、途中でご破算にしてしまうぐらい。
決してシュールなネタでもないのに、やたらと面白いではないですか。
「商売をした充実感が」などない。
サゲは、3円返して1荷の甕も持ってってくれというバージョン。
2か月連続で、違うスタイルの演出を立て続けに聴けて、大満足です。
トリの好楽師に続きます。