柳家小平太の会@墨亭(中・一文笛)

弥次郎は鈴本では特にやりにくい。浅草ならなんとかいけるかもしれないという話であった。
小平太師、寄席最高峰、鈴本でのトリがあるから立派なものである。
私も行かなくちゃ。

再度ウラガネ政治家を振って、悪い奴がいますよねと。いえ、悪い奴とか言っちゃいけませんがとフォロー入れつつ。
本編に入る。
道端でもって、立派な商人らしき旦那に男が声を掛ける。ちょっとお話がありまして、お付き合い願えませんか。
なんと一文笛である。
桂米朝作の新作落語であり、東京にも流れてきている。
小平太師はきっと、正蔵師に教わったのであろうな。

茶店に商人を招き入れ、実はあっしはスリでやして。旦那のその、お腰に下げたたばこ入れ、あっしが3円で買い取りましたんで。
他のスリがみんな狙ったたばこ入れ、抜く権利だけ買ったのだ。しかし旦那をツケてきたが、スキがなくって抜けやしない。
参りました。スキのねえ旦那のたばこ入れを抜いたとなれば、仲間内に顔が利く。だからそちら10円で売ってくださいな。
立派なものだが、道具屋に持っていけば8円50銭ぐらいだろうから、悪い話じゃねえと思います。

感心した旦那が10円で売って喜んでいると、今受け取ったはずの10円がない。
仲間うちに自慢する当のスリ。仕事ってのはこうやるもんだ。

この一文笛の冒頭を飾る重要なプロローグが、聴いてる客にグイグイ迫ってくる。
先の弥次郎もそうなのだが、小平太師の話術として、劇中で話を聴いている人間と、落語の客がシンクロしてくる。
落語の客は得てして話の先を知っているわけだが、なにしろ登場人物に同調してくるため、本気で先が気になってくるのだ。

なぜ落語を聴くのか、なぜ古典落語を(一文笛に限れば新作だが、そういうことではない)繰り返して聴くのか、Yahoo!知恵袋あたりにも疑問が頻繁に載っているのであるが、ひとつの正解が目の前にある。
小平太師は、ことさらに噺を強く語る人ではない。正蔵師のような朴訥な味でもないけれども、寸前で強調をやめる芸。
これが非常に客によく響く。

ところで小平太師への疑問ではないのだけども、噺自体に今さら疑問を感じた。
このスリ、旦那の行動を追うためには本当に出発地点である神田から、両国までつけてこなきゃいけない。
恐らく、仲間から3円で抜く権利を買ったのは本当なのだろうな。そして、実際にこの旦那にはスキがなかったのだ。
仲間に仕事を誇る場面でもって、この事実を出してもいいのだろうけども、そういう部分を省略しているのが味である。

スリの哲学を偉そうに語っていると、足を洗った現在カタギのアニイが訪ねてくる。
俺の長屋でやってくれたなと。お前が昼に訪ねてきたというので、お前の仕事だろうと。
駄菓子屋でもって、店主のババアに追い出された、おあしのない坊や。
ものが欲しいなら自分で獲ってこいと言われていた幼少の時代を思い出す。不憫に思ったスリは、坊やのたもとにスッと店頭にあった一文笛を入れてやる。
不思議に思うがそこは子供、笛を吹いていたらババアに盗みを働いたとされ、家に怒鳴り込まれる。
士族だった誇り高い父にもお前などうちの子ではないと追い出され、井戸に身投げする。

盗人にも一分の理はあるにせよ、誤った了見が大いなる悲劇を生む。
なにが困った人からは盗らないだ。なぜ坊やが不憫だったら自分の懐から銭を出してやらない。
物語は急速に緊迫していくのであるが、小平太師、あくまでも突出しない。
表面に出てくるのは演者の演技ではなく、アニイの、スリのストレートな(抑え気味の)感情である。
思いつめたスリは二本の指をスパっと切断。

サゲの利いた噺だが、この後本当にスリは自首するのであろうな。そうしないと男の子の名誉が守れない。
東京だと「ぎっちょ」という言葉が一般的でなく、使えないのが少々残念。

ケレン味のないいい一席でした。
なにしろ小平太師には、マイナス面がない。ググっと引いて客を呼び込む高座ではないが、押しすぎることは一切ない。
演者自身が「どうだ!」とやる芸じゃない。そんな人のを聴くと白ける。
4人の客から大きな拍手で退席。
この噺も25分。

仲入り後の一席が楽しみで仕方なくなった。
続きます。

 
 

作成者: でっち定吉

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