徳光和夫の「令和ロマンがわからない」嘆きから落語を振り返る

大晦日です。
しばらく前から「落語界の困った人たち2023」を書こうと思っていたが、結局やめた。
落語界本体は、コロナも明けていいことが多かった。
天歌さんも復活したし。
神田連雀亭もついにアクリル板が外されて。
そうなると、「困った人たち」と言いつつ当ブログへのいやがらせに対する逆襲とか、後ろを100回振り返る男とか、そんなのが中心になってしまう。
それが楽しみという人もいるかもしれませんが。
鯉八はその後1回聴いて楽しんだにもかかわらずいまだ批判の対象だが、それでも時間が経って嘆きが薄れてきた。

年末だというのに、Googleの広告表示は止まったままだ。基本30日間なので、そろそろ再開と思うが。
ネタ記事でも書いたが、AdSense狩りに遭ってしまったのである。ただし、結果として私の懐は儲かった。
先月(めちゃ多い)と今月(少なめ)の広告収入合計が、平常の3か月分ぐらい。
いやがらせの相手が儲かるという、田能久みたいな話であった。

今後に備えて対策はいろいろ講じている。
広告大量クリックを発見したら、そのIPアドレスを閲覧不能にします。

さて、今日のネタ。

徳光和夫さん、ラジオ生放送で「令和ロマン」が優勝した「M―1」で自らに嘆き節…「なぜ笑っているのかわからない…これが自分は情けない」(スポーツ報知)

若いころから老害の代表、徳光和夫がまた暴言吐いてるのかと思ったら、まるで違った。
それどころか、「令和ロマンの笑いがわからない」自分を、時代についていけない、情けないと言っているわけで、実に謙虚なのだった。
謙虚さに感心した。
年取って老害から脱却できる人もいるみたいだ。先日の「ジャイアンツが弱いと云々」はさておき。

笑いは感性。
わからないというのは、別に年齢だけの問題ではない。感性が合わないのだから、仕方ない。
私も別に、令和ロマンそんなに面白いと思ってない。
3年前にNHK新人お笑い大賞を獲って露出が増えたときと、同じような感想が続いている。
嫌いというほどでもなく、「ヤーレンズのほうが面白かった」とは思っているが優勝に異論もない。
ただ、知を練り上げ過ぎた笑いで、狂気が不足気味なのは物足りないなと思っている。
徳さんほど大きなズレではないが、この程度のズレだって十分、「わからない」にはなり得る。

彼らがいかなる優勝戦略をもって大会に挑んだのかが後から明らかにされているが、このエピソードはなんだかイヤだ。
立川吉笑さんも、NHK新人落語大賞を獲った際に戦略を語っていたが、あれも同様。まあ、彼の場合はどのみち「ぷるぷる」を出す用意があったので、それが順番的にハマっただけだと思うけど。
優勝戦略が功を奏したからと言って、令和ロマンが今後世間にハマるかどうかは未知数のままだ。
わからない人を置き去りにしたままでは、普遍的な人気は保ちえない。

成功例と言えば、錦鯉。
今や、笑点に出たってしっかりウケるようになった。
もともとそんなに錦鯉、私も好きだったわけじゃない。
でも彼らは、おじさんの星になった。露出の多さが、世間にアジャストしていった。
幼稚ネタのおじさんが、世間にアジャストするなんてすごすぎる。今では私も当然に大好き。
こうなれるかというと、令和ロマンの場合、知性が邪魔をしそうな気がしてならない。
知性は重要だが、客の見えないところで使って欲しいのである。
露骨に出している人の知性よりも、私はアホを装っている柳亭小痴楽師の知性に惹かれる。

さて、徳さんの発言を見て、ただちに落語のことを思い起こした。
落語の世界は驚くほど違う。
「若い人たちにしかわからない落語」なんて、ほぼない。
若い人に向けた試みも、あるが成功していない。「Z落語」なんてどう考えても流行りそうにない。

というか、林家きく麿師のような既存の落語体系を踏み外しているような落語を、年寄りが聴いて喜んでいる。
冷静に考えたら、なんなのだこれ。
落語は古臭いから当たり前?
そうでもなくて、年寄りが喜ぶブッ飛んだ落語を若い世代に聴かせても、落語の耳ができていればちゃんと笑うんである。
新作落語も、古典落語の世界観をそのまま利用しているからだ。きく麿落語であってもなお。
古典落語で培った耳は、そのまま上級バージョンである新作落語に役に立つ。

昨日取り上げた毎日新聞の対談を見ればわかる。
落語に関わる人は、年齢を重ねてもごく普通に若い世代の落語についていける。お笑い界のようなことはないのだ。
しかも、柳家小ふね最強だって。
古典落語ではあるが、既存の落語体系には見られないもの。でも、「変わってるな」という感想も含めて、落語体系の中で全部理解できるのだった。

もっと面白いと思ったのは、皆さん「本格派」「面白派」「新作派」をすべて同列に位置付けていること。
冷静に考えると不思議。もっとも私自身もそうなので、不思議だが違和感はない。
春風亭朝枝さんみたいな本格派(でもないが、分けるとそうなろう)を高く評価する人が、落語の保守派なのかというと、全然そんなこともない。
全部カバーしたうえで結果的に本格派を評価しているのだ。
実に面白い世界である。

落語は徒弟制度が健在の世界。
修業において共通した空気を身にまとうので、落語の体系が統一されていても当然かもしれない。
ただ、そんな世界はやがてシュリンクしてしまうという危機感を持った人もいたのだ。三遊亭円丈。
だが、円丈が不撓不屈の努力で落語世界を拡大したところ、拡大されたままになった。誰もが広くなった世界を利用させてもらっている。
吉笑さんなどが、新たなことを始めたいと試みても、すべて円丈がやってしまった後だという。

第二の円丈は果たして現れるだろうか? 現れたら、また落語の世界が拡大しそうだ。

よいお年を。

作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. 私もヤーレンズのが面白かったなぁ…
    さておき、志らくという方が嫌いです
    お昼間、ワイドショーでコメントされてますが、世間の顔色を見ての尖ってるフリ…に思えます
    感性が鈍そう
    私はよく分からないですが、落語の世界では天才なんですか?談志さんのお弟子さんなんでしょう?
    あと、神田なんちゃらも嫌い
    尖るのはいいけど、的、外れてない?
    この人も天才なんですか?
    すみません、モヤモヤしてることを質問しちゃいました

    1. いらっしゃいませ。はじめまして。
      当ブログはですね、嫌いな人について一方的に嫌いだ嫌いだと罵る方針ではやっていないのです。
      なので回答は控えます。
      当ブログだってよく的外れとか言われますしね。

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