真打なのにヘタだった・・・普通だよ!

X(ツイッター)でもって、初席の春風亭昇太師匠を「素人目にも分かる練習不足」として批判した男がちょっと話題になっている。
なぜか自分の個人情報を晒して連投する痛いヤツなので、引用はしないけど。

いろいろ思う。
まず、練習じゃなくて稽古だし。
そこからか。
そもそも、初席で出すような軽いネタ、稽古しないし。
などという前に、そういった、落語好きがかろうじて評価の前提にしている要素をすっ飛ばし、素人として論評しようとする無敵の男。
だけど無敵なだけで、素人だからいずれにせよ斬れ味は発揮しようがない。なのでやっぱりやるせない。

だが、「素人なのに批判」することはいけないことか?
そこまではまったく思わない。自分の感性を常に疑っていくのは大事なことだ。
ただ、素人であることを補う別の基準のないまま斬ったところで、芸にはならないのだ。
芸にならずに斬ったとて、同調するのは「あいつは前から司会がヘタだと思っていた」レベルのうぞうもぞうである。

毎年3日にNHKでやっている「東西笑いの殿堂」。
こちらで末広亭の中継に登場した昇太師、看板のピンで軽く、実にいい感じだった。
まあ、このいいデキの一席だって、批判しようと思えば誰にでもできる。それこそ「素人っぽい」とか。
だが、地に足のつかない登場人物の魅力を描かせたら、この人の右に出る噺家はいない。
そこまで理解しなきゃ聴いてはいけないか? そんなことはもちろんない。
だが、わからなかったら「わからなかった」で止めておくしかない。
そしてそこで、その演者を聴くのをやめても別に構わない。
ただ、自分の基準が正しいか(少なくとも他人の共感を得られるか)について精査したければ、落語に頼らない、別の基準を持ち出さないと先には行けない。

私も、Yahoo!ブログ時代に林家三平を斬り、当代柳家小さんを斬った。
でも引っ越す際に捨てた。もう復元できない。
斬り方が実にもって素人っぽかったからだ。批判の多い人に対しては、どうしても斬り方が紋切型になるものだ。
その後、笑点降板後の三平に対しては、別の斬り方をしている。
恐らく大多数にご納得いただけるようで、アクセスも多い。

今現在の検索ワードを見ると、「柳家小満ん 下手」なんてのが上がってる。
ヘタなわけないけども、小満ん師を下手のほうに分けてしまう、おかしな物差しの存在まで、理解の外にあるわけではない。
でも、恥ずかしい物差しだからあまり披露しないほうがいいけど。

さて、今日書きたかった内容は、すでに決まっている。たまたま先の内容がマクラになった。
タイトル通り、「真打なのにヘタなのは当たり前」だからいちいちそんなことで声を上げなさんなというもの。

真打は上方落語にはない、東京独自のもの。
寄席のトリが取れて、弟子も(志願者が来れば)採れる。
だが、わずかな抜擢を除けば、みんな年功序列で真打になっている。
実力とは、まったく比例しない階級制度であるからして、当然大部分の真打は、なんでもないただの人。
長いことこれで運営されているのにも関わらず、落語に詳しくない世間には、もてはやされる肩書。
そして、落語を聴いてガッカリして、「真打なのに」。
実に不毛である。

いや、真打制度自体は不毛ではない。上方落語界からも常にうらやましがられている。
真打制度のおかげで、誰でも一度は輝く機会があるのだ。お客さんにとっても。
上方の場合、「襲名」によって披露目の機会を作る必要がある。
不毛なのは、真打の肩書について、勝手な思い入れを持つこと。

立川志らく、落語界の人材難に悲嘆(共感できない)

こちらで書いたが、タレント弁護士山口真由が「真打ちの公演を見に行ったが面白くなかった」「真打ちのインフレが起きているのではないか?」と語ったという。
この餌に食いつき、独自の落語界論をぶっ放す志らくのアホ振りはさておいて。
「真打ちの公演を見に行ったが面白くなかった」まずこれは、鑑賞者の主観。

真打といったって、実にいろんなところで会をやっている。
大きなホール落語なのか、つ離れしない会だったのか、それはわからない。
ともかく聴いて、口に合わなかった。仕方ない。
だがなぜそれを「真打」の肩書に求めるのか、意味不明。
「真打とは、どんな客でも圧倒させる芸の持ち主」である場合しか、万人の満足は得られないが、そんな人いるわけない。
そこから2段階で真打のインフレ化に話を持っていくなんて無理筋×無理筋。

口に合わなかったと言っても、さまざまなパターンがある。

  1. 人気の真打らしいが、私にはよくわからなかった
  2. 客全員がポカンとしていたから、わからなかったのは私だけではない
  3. こう見えていろいろ聴いているが、明らかに下手だった

レベルの問題と鑑賞力の問題、どちらもクリアしないと、論評なんてできないのです。
したところで、先の昇太師をdisるような、乱暴なものにしかならない。
1はいささかゴーマン。他の客が笑っていたらなおさらだ。
そして2は、実際にままあること。
8割バッターだって2割はしくじることもある。高座は生モノですからね。
3はただのアホ。本当によく聴いているなら、真打制度の概要も理解しているはずだから、「真打なのに」なんてハナから出てこない。

ちなみに真打の中には、すでにステージを降りてしまっている人も多数いる。香盤には載っているけども、寄席に出番のない人。
すでに本業は別にあって、名ばかり真打となっている。こんな人、遭遇したくてもできない。
でも真打。

あくまでも、真打になってからが勝負なのであります。
客でなく、自分が噺家でありたいだけで落語を続ける人もいるのだった。

作成者: でっち定吉

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