前回ラスト、本当の名などとうに忘れましたという菊比古改め八代目八雲。
うちの息子が、「確定申告のときに困るね」だって。
それはそうと本当に、自宅の表札には八雲の名だけだ。役所から郵便来たとき困るね。
さて、物語の舞台をひと時代前の現代に戻して第7話。
アニメの世界のように、現実世界の寄席の歴史と、まったく異なる発展を遂げているわけではないようである。
「このあたりにはここ(浅草)しかない」ということで、他にも一応、寄席は存在しているようだ。
ここんところ、噺より漫談でウケているらしい、真打間近の与太郎。
でも漫談でウケている人は偉いよ。漫談(マクラ)でウケても、本編で失速すると客の気持ちが萎んでしまう。
マクラでウケているということは、本編がさらにウケてるということなのだ。
妊娠した小夏にせがまれ、野ざらしを掛ける与太郎。
成海璃子はキャスティング的にどうかと思ったのだけど、目力強くていいね。
小夏は、八雲師匠から長い昔話を聴き、和解しているのだろうが、それでもいったん家を出ているのはリアル。
このドラマにスター・ウォーズとの共通点を見出しているのは私だけなのかと思ったら、制作側にもそんな意識があるのではなかろうか。
先代の墓参りをする当代八雲の後ろに現れる助六は、オビワンみたい。
浅草の高座に、大物感たっぷりに上がる八雲師匠。
マクラを振らずに羽織をすぐ脱いで、死神。
急に展開がホームドラマっぽくなってきたものの、テーマは終始一貫している。
落語が、家族をも形作るということだろう。
師匠と弟子の関係も、落語を媒介にした疑似家族。疑似家族から、本物の家族が生まれたっていい。
八雲師匠が落語と心中しようとしても、次々と家族のほうが勝手についてきてしまう。
みよ吉は、落語をコアにした家族に交われなかった点が悲劇なのだ。
丸太ん棒め!と、稽古をする与太郎。これは大工調べの啖呵。
与太郎の前に、「寄席芸人名鑑」というマンガが置かれている。作り手の「寄席芸人伝」へのリスペクトで、とても嬉しい。
昭和元禄落語心中のマンガ原作に、寄席芸人伝も多くの影響を与えていると私はにらんでいる。
浅草雨竹ホールの幟は、「天羽舎鶴径」「柏藤とら」。
ちなみに与太郎が萬月と会う前半には、出演者の名として他に「桐家春市」「柳楽亭一泉」「琴乃」「ハインツ」などの名も。
週刊誌にスキャンダルは出るし、嫌味な評論家には、自分の芸が掴めていないと図星の指摘をされ、行き詰る与太郎。確かに、真打になろうというのだから独自の個性は欲しい。
もっとも、一般ウケするレベルの個性は与太郎、十分に兼ね備えているのだ。
自己に求めるレベルは相当に高い。だから悩む。
それではまた来週。