馬遊・喬太郎落語会(中・柳家喬太郎「サニーサイド」)

喬太郎師が座席の一番後ろから出てきて、袖を経由して高座に上がる。高座には釈台。
「ヨボヨボしたのが続けて出てきましてまことに申しわけございません」。
まあ、あぐらだからそう見えるのは仕方ないが。
このところの喬太郎師、登場時はずっとヨボヨボしている。
語りだすと若々しいのだけど。

平日の昼間にいつもこんなにお集まりいただき、ありがとうございますと。
テレビバラエティを「くだらない」と言い放った本家キョンキョンと比べて、腰の低さは天下一品。
いきなり思いついたが、柳家金語楼が継げないものでしょうか。キョンキョン改めキンキン。
このでかい名前ぐらいしか、柳家の名跡って空いてないですからね。小三治ってわけにはいかないし。

マクラは馬遊師の話だったと思うが、見事に消えてしまった。布団はがしたキノコは実体験でしょうとは言っていたが。
本編の印象が強かったもので。

本編は新作。
演題は調べたら「サニーサイド」という。目玉焼き(サニーサイドアップ)のことだ。最近できた噺のよう。
なんとなくWミーニングぽいけど、特に掛かってないと思う。

喬太郎師の、日常のシチュエーションを描いた新作は久々に聴く気がする。
このサニーサイドは、完全に現代人の日常だけで成り立っている物語。
私は日常から離れない新作を聴くたびに、どことなく不満を漏らすことが多い。
落語全般に言えることだが、特に新作には「飛躍」の要素が欲しいのだ。
だがこれは、この記事を書いている段階で初めて思ったことだ。日常に足を付けたサニーサイドに、なんの不満もない。
秘訣は簡単で、喬太郎師が徹底的にシチュエーションにこだわっているからだ。
いみじくも物語の初めのほうで、浮ついた部長役の登場人物が言う。「だんだん芸風がイッセー尾形に似てきたな。自分でも思うけど」。
喬太郎師はイッセー尾形を自認してるんだ。実に面白いですな。

部長宅に、ふたりの部下(男女)を呼んでもてなす。
ふたりは、社員の福利厚生のために、見事なプロジェクト(花火大会)を実施して、成功を収めたのだ。それで部長が呼ぶことにした。
成功したプロジェクトにもちゃんと、喬太郎師っぽいギャグが入っている。
部長は、現代に生きる上司として、ハラスメントには極めて気を遣っている。
自宅に呼ぶこと自体、ハラスメントになりかねない。断ってもいいんだというのは通らない。
気を遣いに遣いまくって二人を呼び、そんな釈明もする。

現代社会はあちこちに気を遣わざるを得ない。笑いの分野も同様だと。
中途半端な芸人ほどこう断言する。
でも、これはまったく事実に反する。ハラスメントが厳しい世の中だったら、それ自体がネタになるのだ。
未熟さを世間のせいにする芸人など大したもんではない。ここにちゃんと、現代を笑いに変える噺家がいるのだった。
よく考えればイッセー尾形だってそうだった。

男女は交際していて、まもなく結婚すると話す。ますますお祝いだと喜ぶ部長。
男女は家(マンション)を褒める。部長も、実は家が自慢で呼んだのかもしれない。
部長は、転勤族家庭で育った根無し草。だから今まで家を持とうとは考えなかったのだ。
実に短期間で住まいが変わる幼少期。
転勤族の子供の幼少期について語られる。友達なんてすぐに切れてしまうし、それどころか誰の顔も思い出せないのだ。
場面場面は思い出すこともあるが、誰と遊んだのかも思い出せない。学校の所在地の記憶すらない。

遊んだ記憶は、イヤな思い出として残っている。
当時流行ったスーパーカー消しゴムで遊んでいた。部長はスーパーカーでなく、ウルトラセブンのポインターで勝負していた。
部長のポインターを落として勝った子供が、「これもらい」。
そんなことを言っても、普通は返してくれるものだ。でも返してくれなかった。その記憶が染みついている。
部長と奥さんのなれそめについても語られる。
二人は職場結婚なのだが、奥さんの目玉焼きが実においしかったのだ。
この目玉焼きは、どこかの小学校の調理実習で、顔も覚えていない女の子が作ったものと同程度のおいしさ。

「こんな噺かな」と思った方の想像を大きく外れてはいないと思う。
聴き手の想像を激しく裏切るような噺ではない。
でも、実に楽しかった。
この楽しさは、シチュエーションの深掘りによるものだ。
サゲは軽いのだけども、それまでの深掘りのおかげで、しみじみ余韻を残す。

スーパーカー消しゴムを知らない若手とのコミュニケーションギャップもまた楽しい。
「君たちは消しゴムを知らんのか」。これまた、喬太郎師っぽい。もちろん消しゴムを知らないわけはなくて、スーパーカーを知らないのだが。
スーパーカーを説明する部長も、「ドアがこんなふうに開くんだ」と手でガルウィングを表現する。

この作品は、居間を舞台にしたシットコムだ。笑い屋のおばちゃんの役は、客が果たす。
今後の喬太郎落語の方向性を決定づける一作の気がする。

満足です。
続きます。

 
 

作成者: でっち定吉

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