池袋演芸場30(下・金原亭馬治「笠碁」)

志ん五師の新作落語は非常に楽しいものだったが、若手真打が求められるクイツキの役割とはやや違うかも。
仲入り休憩後のクイツキは、気の逸れたお客を高座に引き戻す役目だからだ。それにしては、じわじわ感の一席。
でも大丈夫。ヒザの林家しん平師が勢いのある高座で補強する。ヒザ前はトリのために客席に種火を付けておく役割が本来だが、ケースバイケース。

しん平師は寄席(だけ)でよく見かけるベテランだ。なんでもできる達人。
ただ、高座のデキは千差万別。正確にはデキというより、その日のこちらに合うか合わないかだろうけど。
この日の高座はもう、ドンピシャでありました。
圧は元来強めの人だが、それにしてもこの日は強い。
客をあっためてから初天神へ。
年中やってるし、正月にも出るが、本来はちょうどこの時季の噺。
しかし飴も団子も出ない。徹底して屋台の食い物をフィーチャーした噺。
わたあめとか、カルメ焼きとか。

冒頭、母親は出ない。羽織を来てお参りに出かける父親を、坊やが止めてなんとか連れていってもらう。
ものを欲しがらない男と男の約束をして。
カッパのくだり、人力車のくだりと間違いなく初天神なのに、なんだか違う。
噺の大筋を押さえておいて、細かい部分を自力で創作してしまう「ラジオ焼き」である。屋台でラジオ焼きはちょうどよかろう。

坊やはなんでも、屋台のあらゆる食べ物の作り方を学ぶため1週間通ったらしい。
しん平師だったらそんなこと、ほんとにしそう。
この日の私は、いつもより記憶している内容が少ないな。
この初天神も、通常の噺とは違う方向に進むわけで、サゲも違うのだが、思い出せない。
サゲ以前に展開が思い出せないのだが。でも、実に楽しかった。

ヒザはストレート松浦先生。
中国ゴマ(ディアボロ)で「あの、回ってますよ」で拍手をもらう際、実に巧妙に、拍手をもらわないよう進めているのがよくわかった。
わかった以上、その前に拍手をするような野暮はいけない。
「拍手をもらわない」というのも技術のなせるワザであるな。

デビルスティックから、お手玉。
以前はシガーボックスだったが、最近は皿回しである。
太神楽みたいにアゴに乗せる大ワザ。お客は大喜び。

トリは金原亭馬治師。
私は実に3年ぶり。2021年の池袋2月下席、馬玉師の芝居で聴いている。
ずっと聴きたかった人だが、なかなか捕まらなくて。
このあたりのキャリアの人は、芸術協会のほうが遭遇しやすい気がする。
あちらでは雷門小助六、三笑亭可風、三笑亭夢丸といったあたり。
落語協会は競争が激しくて、抜け出すのは大変だ。

御将棋は親の死に目に会えない、と振れば、笠碁。
1月に聴くとは思わなかった。

笠碁もいろんなタイプがある。しんみりするものも。
馬治師の笠碁は、笑いの大きいタイプ。笑いと言ってもギャグで固めたものではなく、ずっと緩く、ユーモアに満ちている。
近江屋さんと相模屋さん、二人の碁仇は、喧嘩をしてもそんなに深刻なムードではない。
口ではあんな奴とは二度と打たないと言っていても、いずれ仲直りできるだろうという感が双方に強い。
むしろ、仲直りの仕方のほうが重要、そんな感じ。
大げさに仲直りするのは、たぶんいやなのだ。二人とも、お互いに少しずつ歩み寄って、さりげなく仲直りしたいのだ、きっと。
相手に負担を掛けるような仲直りは本意ではないのでは。
こういうの、私はかなり好きですね。いかにも落語っぽくていいじゃないですか。
そうなると、喧嘩もそんなにエキサイトさせるべきではないということになる。
もう忘れているぐらいの古い昔、大みそかに事業資金を融資してやったことも、ことさらに複雑なストーリーにはしない。
重要なのは、あくまでも正月明けてすぐに返済できなかったこと、それだけなのだ。

落語というものは、そんなに深刻な世界を描かなくてもいいのである。
本当にちょっとした数日の喧嘩と仲直り、ここにドラマがある。激しくはないが、深い。

金原亭らしく、「おっぱいがでかいから偉いと思って」というキラーフレーズもさりげなく入る。
嫌味なんだが、嫌味じゃない。

笠碁は年季が必要な噺とされる。でも、若手真打にも描ける。
余計な要素を無理に詰めなければ、背景が勝手に深くなるのだ。

すばらしい一席で大満足。

やはり寄席はいい。
この日は本当にジミハデな席。強烈さはないが、じわじわ余韻を残す日でありました。

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作成者: でっち定吉

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