拝鈍亭の橘家圓太郎3(下・祇園祭)

2席続けておおいに楽しんだところであるが、楽しさに反比例し、それほど疲れていない。
これも珍しいこと。もちろん、圓太郎師が、客が疲れないよう心掛けているからでありましょう。

落語協会100周年の話。
私も文菊さんと百年目のリレーをやります(鈴本)。
リレー落語というもの、自分たちで企画するわけじゃないですが、寄席のほうからたまにリクエストがあります。
でも百年目って、上方の大作じゃないですか。協会百年目だから百年目というだけなんですが。
寄席にもお出かけください。

協会つながりで先代小さんの話。
脳梗塞以降、寄席には顔付けされておらず、たまに寄席に遊びに来て気ままに高座に上がっていた小さん。
高座に上がっても、小噺程度である。
あるとき小さん、「オリンピック屁のマラソン」という小噺を始めた。おりんさんとピックさんが出てくる。
だがオチが思い出せないまま途中で下りてしまう。
別に晩年の大失敗というようなことでなく、客も喜んだ。
で、「屁のマラソン」という小噺、好楽師の書籍によると、先代圓太郎(売れない芸人)がやっていたらしいのだ。
高座の当代圓太郎師が語っているわけではないのだが、思わぬところで勝手にエピソードがくっついた。

我々噺家は、声がよく通る。飲み屋に行っても筒抜け。
楽屋で前座さんが、「馬風師匠のお茶だけ鼻クソ入れといて」と言ってもちゃんと聞こえてしまう。

そして東西の噺家の比較。
ボヤキのように、上方disかのように語りだす圓太郎師。
上方落語は言葉が難しい。だから、ごく周辺から集まった人たちしかプロになれない。
人間国宝の米朝だって、上方落語家に言わせると「あの人は尼崎だから」。
尼崎でも、本物じゃないと陰で言うのだった。

尼崎は米朝が住んでた地であって、大阪の隣だ。
実際は、出身地である姫路について陰口を叩いてたのだろう。
こうやって、東京の高座で誤って語られることで間違いが拡大していく。それがいけないというのではなくて、なんだか面白いなと。

大阪で高座に上がらせてもらうと、「なに気取っとんねん」なんてヤジが飛んでくる。
上方落語家を東京でもてなす際は、いちばんいいところへ連れていく。一度だけ志ん朝に連れていってもらったような店へ。
反対に、上方でもてなされるときは、いちばん大衆的な店に連れていかれる。落ち着いていいのだけど。
上方落語家は長っ尻。おごってくれる先輩や客が来るのを待ってるから。
大衆的な店に連れていかれるが、そんなお店の常連が、先ほどヤジを飛ばしたおっさん。
おっさんもおうと圓太郎師を見て、「いやあ、あんたよかったで」。
続けて「そやけどどこで笑うねん」。

もう本来の終演時間だが、ここから祇園祭へ。
最近、この噺がなんだかたまらなく好きになってきた。
東京落語の中でも屈指の、東西対立を描いた噺。だが、なにも本気で喧嘩しているわけではない。
お互いちょっとだけ悪く相手を言ったところに生まれるコミュニケーションの噺だと思う。
先の圓太郎師のマクラも、あれ、西の噺家をずいぶん悪く言ってるがと思ったら、全部シャレ。
互いに真の敬意を払っていてこそ可能なのだ。
子供っぽい喧嘩でなく、成熟した大人の噺。少なくとも、そんな心持ちで掛けたい噺。
祇園祭も、結局東も西も同じ人間、仲良うやりまひょというテーマが隠れていてこそ楽しめる。

江戸のにいさん3人が伊勢参りのあと、京へ。
京の遊女にすっかり溶かされてしまい、2人は路銀が尽きて帰っていく。
1人おじさんを頼って京で居候の男、祇園祭を見物に行くが、おじさんが所用で来られなくなり、1人で参加。これが間違いのもと。
江戸のにいさんどうぞと声が掛かるが、地元の男が京じまん、江戸disをおっぱじめる。

圓太郎師の祇園祭は、東西代表ともにまるで憎々しさがない。
特に、東京でやる場合、京代表が憎らしくないというのは大事だと思う。はー、はっはっは。
そこからぴーひーひゃいとろとーひゅーひゃー、片棒みたいな江戸の祭りのハイライト。

20分近くオーバーして終演。
ここ年1回の拝鈍亭こそ、圓太郎師の晴れ舞台ではないかな。
今年も幸せでした。
また来年も行きたいものだ。

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作成者: でっち定吉

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