五街道雲助「堀の内」

ネタがないので、またしても録画から探してくる。
演芸図鑑の1月のもの。未編集であった。
人間国宝の演じる、ごく軽い12分の噺である。珍しい。
雲助師はインタビューで、これからも寄席の代演をどんどんやっていきますと語っているが、代演で掛けるにはぴったりの噺。

堀の内は前座噺っぽい。
実際には前座から聴いたことは二度ほどしかない。やって叱られるようなものでもなかろうが、粗忽ものというのは前座噺にはない。

雲助師のこれ、実にクスグリ少なめで、驚いた。現代の堀の内はギャグが多すぎる気もする。
少ないほうが絶対にいいとまでは言わない。
でも、ギャグには適切な数がある。私もスカッと系の仕事をしているが、人情もののいい話に、ピンポイントでごく少量のギャグを入れていくと実にハマる。
ギャグの量を間違うと、話が壊れる。聴き手の変なスイッチが入るわけである。
演芸図鑑だから刈り込んできたとも考えられるのだが、この12分が完全版ではないのだろうか。

私は弟子の隅田川馬石師の堀の内を、二度聴いている。
粗忽ものの得意な馬石師の堀の内、大好きで。
だが馬石師に感じたものは、創作オリジナルクスグリの見事さである。「粗忽ものが信心に行く」という噺の芯を見抜き、適切なクスグリを入れる。
もちろん、いっぽうで既存のクスグリを抜くわけだが。
師匠のものは、もっと堀の内のプロトタイプっぽい。
だが、実は昔からあるこの噺のクスグリを、ひとつひとつ丁寧に抜いていったのではないか。そんな気がしてならない。
これはこれで、噺の芯を見抜いているわけだ。堀の内のクスグリは、強烈なものがあるわけではなくて、ひとつひとつが並列。だから数を増やす必要はないということなのではないだろうか。

マクラは、「かけたメガネを探す人」「マスクしたまま痰を吐く人」。そして親の顔を忘れる小噺。

クスグリは、絞りに絞り込んでこれだけ。

  • 下駄と草履と片っぽずつ履いてる
  • 堀の内のなに様に行くか覚えていない
  • カカアに起こされるが顔を忘れている
  • タンスで顔を洗う
  • 部屋の中で下駄を探す
  • 帯だと思ったら電車の線路
  • 方向を間違えて両国に行く
  • いったんうちに戻ってくる
  • ポストに声を掛ける
  • 正しい方向に向かってからは、途中道を尋ねるのは一度だけ
  • 着いてから尋ねた人を拝む
  • 財布ごと投げちゃってお釣りを要求
  • 弁当だと思ったらカカアの腰巻き
  • 隣の家で怒ってうちで謝ってる
  • 4つの金坊に、早く6つになれと無理を言って、お湯屋を通り過ぎる
  • 湯屋の柱に頭ぶつけて金坊に注意する
  • 女の子の着物を脱がす
  • 湯屋の柱に頭ぶつけて金坊に注意する
  • 刺青の人を金坊と間違える
  • 隣の人のケツをかく
  • お湯屋の羽目板洗ってら

絞り込んでも結構あるな。これだけあれば十分だろう。
「おんなじ人に二度道を訊く」「床屋で服を脱ぐ」あたりはない。
前者は、時間があれば入れてそうな気もするが。
少なめのギャグを、名調子で語っていく。ただし、調子が良すぎて言葉が意味を失ってしまうようなうたい調子ではない。
言葉のかたまりがしっかり聴き手に流れ込んでくる。このあたり弟子にはみな共通するところ。

ちなみにクスグリではないが、「電車で行くとご利益がない」と言っている。
意外な時代背景。でもよく考えたら電車の線路というクスグリがあるんだから、これでいいわけだ。

そして馬石師もそうだが、間違えてまず両国に行く。
今は浅草・観音さまでやる人が多い。でも、浅草は北の方角で、粗忽とはいえ少々不自然。
両国は、今の両国(向こう両国)ではなく、今より50メートルほど下流に掛かっていた両国橋の西側のことだろう。
現代だと東日本橋の付近と思われる。これは、神田から割と近いので自然なのだ。
それに、雲助師は人混みを描写していないけども、盛り場だったわけだ。
まあ、神田の範囲は江戸時代は非常に広く、八っつぁんがどこに住んでたかはわからないけど。

省略しているのはクスグリだけではない。
弁当をつかう場面、びっくりするほど詰めている。八っつぁんが「腹が減った。おかずはなにかな」と、これだけでもう弁当(腰巻き)に手を掛けている。
だいたい、寺で許可を取っているもんだが、実にスムーズに抜く。
そして帰ってから、どうしてこんなもんを持たせるんだというくだりもない。隣で怒ってうちで謝ってで、全部吸収してしまう。
かみさんも、「疲れが取れるから湯に行ってきな」と短い。
お昼を食べ損ねた八っつぁんを湯に行かせるため、ここも説明が多くなりがちなところ。馬石師だって、「ご飯はできてるけど、1日歩いたんだからお湯に行ってきな」と語っている。
雲助師、直截的な言葉ではなくして、流れと心象風景でもって、展開を描いてしまうのである。

名人の軽い噺はひと味違いますね。

作成者: でっち定吉

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