笑点効果により、昨日の当ブログへの訪問ラッシュはすさまじいものがあった。
新真打雨花関係と、「落語協会と落語芸術協会は何が違う?」が主。
私は白酒師の会に来てたから笑点観てない。いずれ特大号で観ます。
ちなみに昨日のまんとさんのアクセスも多かった。
早くも検索順位急上昇中。
まんとさんは師匠が萬窓だから「まん」の字をもらっているわけだが、あと四万十の出身なんですな。
まんとさんが沸かせたあとは、主役の白酒師登場。
インバウンドの話。
どこのホテルも高くなって。今やビジネスホテルでも2〜3万しますよと。
だからアパホテルなんかですらそうですからね。
浅草も賑わってますよ。
一方通行を偉そうにクラクション鳴らして逆走するクルマ見たら、水戸ナンバーだったりしまして。
来たいんでしょうね。
我々もいずれ、訪日観光客のために落語するようになりますよ。
どうせ普段空いてるんですからね。今日は一杯ですけど。
落語ブームなんて言いますけど、だいたい空いてるんですから(拍手)。
ここで話された内容と、トリのマクラが記憶でごっちゃになっている。
さらなるスーパー毒舌は後半だった気がする。
旅行から、駕籠かきへ。抜け雀である。
「雲助」って使わないんだなと。「雲助といいましても五街道雲助師匠ではなく」なんて入れるもんだが。
ちなみにこれからの季節に増えるお菊の皿では、「三平」が使われて、そしてボロクソに言われる。
毒舌まみれの白酒師、しかしもちろん、発言には極めて気を遣っている。
山道でもって女性客を手籠めにするなんてくだり、「太え野郎だ」なんて入れないのだ。
もちろん、客にとっていい感じがしないからでしょう。
旅の絵師が最初から一文なしのパターン。どこの宿でも一文なしと見抜かれる絵師のほうが、ぼんやりした旅館を探している。
見事そのお眼鏡にかなった武蔵屋。
武蔵屋の二階への階段は、1段ずつまんべんなく抜けている。
先に前座のまんとさんが、古典落語のストーリー自体にツッコむのが上手いと書いた。
白酒師は、さらに洗練されたこのワザを使う。
一文なしの絵師が無理やりついたてに絵を書くが、宿の主人は「一文なしのあんたより、私のほうが地位が上のはずだよ」と抵抗している。
古典落語もじっくり観察すると、現代人から見ておかしな部分が多々ある。それを舞台の上に上げることで共感が得られるわけだ。
「絵師だ」「え、責め上手?」「それはSだな」
「狩野派だ」「え、官能派?」
さすが、禁酒番屋の「どっこいしょ」を「ドイツの将校」だと言い張る白酒師。
絵師(親子ともども)自ら墨をあたっているのは珍しい。
そして雀の絵、1日いっぺんしか抜け出さない。抜け出す様子を同業者に見せようとして、初日は見事失敗する。
絵師の父のほうは、雀が抜け出すスキに駕籠を描いている。であるからして、駕籠を描く様子を見物人が見ているわけだ。
こんなところに迫った抜け雀は初めて観た。
金原亭だと、当代馬生師から二度抜け雀を聴いた。
それとも違う。唯一近いのが、宿の主人についたてを押さえさせて描くシーン。ただ、具体的に描写はされない。
馬生師の場合、同じ日に二度雨戸を開けて、二度雀が飛び出すのだが、それを再度ひねってみたらしい。
ちなみに同業者たち、武蔵屋さんがついにおかしくなったと思いつつ、話をちゃんと併せてやる。火でもつけられたら大変だから。
このスタイルは、芸術協会の小助六師がやっていた。
白酒師の長講を聴くのは本当に久々である。
ここぞというギャグが目立つ師匠だが、噺の骨格はずいぶんと本寸法であることに改めて気づく。
古典落語を破壊する芸ではなく、むしろじっくり聴いてもらうための手段としてサービスギャグをぽつぽつ放っていくという芸である。
随分スタイルが違うようでいて、この点は弟弟子の馬石師とよく似ているものだ。
でも一番似てるのは、前から感じてたが喬太郎師だ。
ギャグの感性が大変近い。
楽しい大ネタで仲入り休憩。
ここのロビー、ピンク電話が現役である。浅草の楽屋にはあるんだっけ。