立川談志「お化け長屋」

NHKのアーカイブ「おとなのEテレタイムマシン」シリーズ。

前回「居残り佐平次」はかなりよかった。
再び談志を。
常に一定の距離を保っていた談志を、もうちょっと聴こうと思ったきっかけでもあった。

なんと、会場は今はなき「若竹」。昔のテレビ画面に横幅が収まってしまう小さな寄席。
久々に寄席に出る喜びを冒頭で語っている。
寄席で育ったのだから、盟友圓楽のおかげでまた寄席に出られて感無量と語る談志。
じゃあ、寄席やめることなかったじゃないかという客の疑問を自ら述べて、だが10対0で嫌になったわけじゃないのだと。4分6で嫌な面が目に付くこともあるのだ。
客の数はこのぐらいがいいと。質はともかく。
あたしの欠点は大衆に溶け込めないことだ。

談志は本当は寄席が大好きなんだと語る落語協会の噺家は、結構いたように思う。
これが弟子になると、談志は寄席を切り捨てて別のコースを作り上げたなんて気軽に言うんだが。

番組冒頭では、「立川流家元は今落語について何を考えているか」という仰々しいインタビュー。
「落語家と、落語のありかたの方程式を決める役割」これを天から与えられたと語る談志。
残された書物にこのあたりはみな書いてあるだろう。

番組(当時の演芸指定席)で出す演題は、「お化長屋」だった。変な表記。
高座に戻る。
お化け長屋を今からやると宣言。
この寄席の前途を暗示しているような演目だなんて。実際、そう思っていたのかもしれないな。

NHKが数あるコレクションの中から出してくる録画なんだろうから、当然いいものなんだろうと思ったが。
正直、口に合わなかった。
今日は口に合わないという事実を書くことにしたのである。
別に談志は下手だとか、そんなことを言いたいわけではない。思ってもいない。

居残り佐平次との違いは、演者の年齢であろうか。
若いうちは、ギリギリ曲げて客に妥協していたのではないかと。
だが談志のスタイルに熱狂的なファンが増えるにつれ、どんどん客への妥協をやめていった、そういうことかと。

志ん生のマクラを、志ん生のものだと断ってから語るのが談志らしい。
化け物が出るというので見に行く男。でもなんにも出なかったので酒飲んで寝てしまう。
朝、なにも出ねえじゃねえかとつぶやくと、「出たときは寝てたじゃねえか」。
そして臨死体験の話を理屈っぽく語る。
理屈の好きな私だが、理屈っぽいなと思う。
この中(客席)に幽霊5人ぐらいきっといるよと。あたしが幽霊かもしれないし。
客が常識だと思って乗っているステージをひっくり返してしまうのは、談志らしいなと。

古狸の杢兵衛さんは、愛嬌が薄い。
泥棒が後家さんにムラムラっと来たあたりは描写を一切しない。あまりちょいエロに興味のなかった演者だという印象がある。
談志でなかったら、このスタイルはすなわちイヤミである。
現代、誰もこんな造形では描かない。愛嬌と、スキを残して描くはず。
なぜそうするか。もちろん客の快に訴えないと成り立たないからだ。

そして、乱暴な入居希望者。
とにかく猛スピードでまくしたてる。
猛スピードの落語というものは今でも多数あるが、だいたいは高揚してくるものだ。
だが、このまくしたてる談志に私のテンションが下がってくる。

入居希望者と古狸とのバトルは、もう丁々発止。トークバトル。
これが気持ちいいという感性が、まるでわからないわけじゃないのだ。
でも私の気持ちはまるで盛り上がらない。
徐々に苦痛になってきた。

しかし、お化け長屋のこのくだりなんて、入居希望者がことごとく上から来るので、杢兵衛さんがタジタジというのが笑いどころのはず。
そしてどちらかに強く感情移入してしまうこともなく、嚙み合わないシチュエーションと、やたら強い男のおかしさを笑うところだろう。
そう思ったら、なにも間違っていないスタイル。本格派と言ったっていい。
口に合わないのは時代が変わったのだろうか? 客のほうだって、時代に連れて感性が変わっていくものだ。
とはいえ、当時でもやっぱり最もバトルの強い高座ではあったろう。
よい子はあまり近寄ってはいけない。

作成者: でっち定吉

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