露骨な政治ネタでなく都知事選について書きたいことがある。ただあんまり落語とつながらないのでひとまず断念します。
くっついたら書くかもしれない。
代わりのネタ。ラジオの落語。
NHKラジオの「真打ち競演」なら聴くことはある。
ちなみに五街道雲助師と、一龍斎貞鏡先生が出ていた。これだって十分ネタになるが。
さらに「ラジオ深夜便」で出たスタジオ録音(観客なし)の落語までチェックすることはめったにない。
たまたまチェックしたら三遊亭鬼丸師の落語が出てきた。それも新作だという。
ブログのネタになるかもしれないなと、聴いてみることに。
結果、ネタになったというわけ。
別に批判しようというのではない。
「新・粗忽長屋」という噺。
粗忽長屋はタイトルだけ。
ヨネスケ師が解説してたが、ネタ帳でツかないためのタイトルだろうと。
新・粗忽長屋がネタ帳に書かれていれば、その後の師匠が粗忽長屋を出す心配はないわけだ。
「新・巌流島」だったらずいぶん以前に浅草お茶の間寄席で聴いたことがある。これも巌流島(岸柳島)とはテーマが共通するだけ。
久々に、真打昇進時の名前のネタを聴く。最初から師匠の一字のつかない鬼丸にしようと思っていたのではない。
「歌九」にして、そそっかしい人が歌丸と間違え入ってくるのを狙うという。
オレオレ詐欺集団が電話を掛ける。
だが、この連中も軽い粗忽のようで、なかなかうまく行かない。
それでも2件目では反応がある。母親が出たので息子のフリをするが、当の母親が騙されて、寝ている当の息子を起こし、あんた、なにやったの。
息子本人も粗忽らしく、状況が飲み込めない。
そして原典である粗忽長屋を利用したサゲ。
決してつまらないなんてことはなかった。
クスグリもいろいろ、自然な形で入れてある。プロでも、ネタおよび語りの不自然な新作落語というのはあるものだが。
だが、身も蓋もないこと言っちゃうと、テーマが同じだったら粗忽長屋でいいよねと思ってしまった。
新作にしたところで、オレオレ詐欺の電話を受けた母親が、寝てる息子から電話が掛かってきてなぜかわからない、という状況である。
この状況、解決しなくていいわけじゃないし。
最近も現場とラジオで、続けていい粗忽長屋を聴いたばかり。
粗忽長屋のような難しい演目では、演者の創作力がなおさらものを言う。古典落語だからって、教わったままやればいいなんてものではなく。
古典のパロディは昔からあまたある。原典を超えないと、なかなか価値を認められない。
たまたま聴いたのが振込め詐欺の噺だったので、吉原馬雀さんの最近聴いた新作落語を思い出した次第。
「対策は合言葉」というもの。
ご本人が復帰後、最初の神田連雀亭での一席。
これは傑作だった。
オレオレ詐欺に騙されかける母親の側を描いているのだが、序盤で母親がどんな人間なのか、短い時間で早くも立体的になっている。
息子のために本気でなんとかしてやりたい心情が描かれる。
息子も、この母親なら騙されると本気で心配して、ニセ電話が掛かってきたときの合言葉を考える。
あろうことかこの母親、合言葉のわからない犯人にヒントを与えてしまう。それも自然な流れ。いや、落語だから本当に自然なわけじゃないが、違和感はまるでない。
ああ騙されちゃうというスリル、そして人情まで伝わってくる。
東京の新作落語は、日常を描いた場合必ず飛躍を入れてくるもの。
だが馬雀さんは、シチュエーションを深掘りして、そこから新たな展開を生み出すというやり方。
なかなか貴重であるし、文学性まで感じる。
馬雀さんは師匠と闘い、それにより落語界の一部を敵に回したのも事実。
しかしこの噺を聴き、この人は新作落語界で立派にやっていけるだろう、そう思った。
具体的には、3月の台本祭りであり、8月のプークである。
この領域において、彼の活躍を妨害する人は、恐らくいない。
ちなみに紛争前の馬雀さんについては、いい一席には遭遇してはいたものの、実力を高評価していたわけでは決してなかった。
しかし先月聴いたばかりの「サイン」という新作も上々のデキだった。もう大丈夫。
馬雀さんも来秋は真打昇進。口上に、新会長さん喬師も並んでくれるだろう。
金原亭の総帥、馬生師も。