【報道特集】アナウンサーから転身 落語家・入船亭扇七
(テレ玉ニュース・動画なので再生ご注意)
先月の二ツ目の披露目では、同時昇進の三遊亭萬都、金原亭駒平の2人を聴いた。2人とも上手い。
ところで同時昇進はもうひとりいたのである。
入船亭扇七(前座時代は扇ぱい)。
この人がNHKアナウンサー出身だというので、ちょっと話題になっているのであった。
前座時代に一度だけ遭遇したことがある。当ブログには「上手い」と書いていてよかった。
上手いことを確認してから寝てて申しわけないが。
NHKのアナウンサー出身とは、確かに珍しい。
フリーアナ以外で芸能の道に進んだなんて元アナは、野際陽子以来じゃないでしょうか。他にいたらすみませんが。
しかし、東京の落語界とは面白いところだ。
動画でご本人も語っていたとおり、前座時代は何ものでもない。
というか、何ものでもない時代こそ、修業なのであろう。
Wikipediaもごく一部例外を除いて作られず、寄席で遭遇した客は、その前座の属性を何も知らないままである。
二ツ目になって初めて、属性を報道されるわけだ。
前座時代から前職のおかげで有名だったなんていうのは、錦笑亭満堂師だけではなかったかな。
二世の場合、二世であることだけ知られるものだけど。
原則論はさておき、前座として前職を語った人に遭遇したことはある。
きく麿師の弟子、林家十八さんが落語会で語っていた。さすがに寄席だったらないところ。
十八さんは、前職を三択クイズにしていたのだった。
- NHKアナウンサー
- 陸上自衛隊
- 小学校の先生
ご本人は、小学校の先生であった。
ちなみに、「1」と答える(拍手で)客は常に少ないのだと。だいたい2か3。
今回、ふとこのマクラを思い出したのだった。
十八さんの先輩に、NHKアナウンサー出身の前座がいたから、クイズができたのであるなと。
そして恐らく、陸上自衛隊出身の前座もいるのだろう。これまた、二ツ目に昇進するまでわからない。
ちなみに芸協の三遊亭圓雀師が、陸自出身である。
落語協会にも故・古今亭志ん駒、桂才賀と自衛隊出身者がいるが、おふたりは海自。
志ん駒師の漫談はネタ帳に「隊衛自上海(たいえいじしゃんはい)」と書かれていたという。これは、船の右側に、右から書かれた「海上自衛隊」のこと。
オチケンでもなかった扇七さん、NHKの福井時代に落語を覚え、そして噺家に転身を決意し、東京で寄席に通うためにNHKを辞めて東京に出てきたのだそうで。
フリーアナとしてテレビ埼玉で番組持っていたが、土日は寄席に通って師匠を探していたという。
ともかく二ツ目になったので、今後は扇七さん、アナウンサーだった過去も喋り放題。
落語が上手ければ、「さすがアナウンサー」と言ってもらえる。変な感心のしかた。
ちなみにでっち定吉調べでは、「七」を名に入れた東京の噺家は、いそうでいない。
すでにいた「七」は、三遊亭遊七さんだけである。
「八」のほうがずっと多い。
変わった前職を持つ噺家、そんなにたくさんいるわけではない。
大学出て数年内に入門という人が多いから、当然ではある。昔と違い、落語協会や芸術協会には年齢制限もあるし。
私が知ってる噺家の前職いろいろ。Wikipediaには載っていないものもあるが、すべてマクラか公共の電波を通して聞いたものだ。
- 力士
- 床山
- 三井物産勤務
- ワコール勤務
- 福家書店勤務
- 化粧品の販売員
- お酒の販売員
- 歌手
- 税理士事務所
- 社会福祉士
- エンジニア
- 放送作家
- 代議士事務所
- 外車ディーラー勤務
- ストリップ劇場
- デリヘルの店長
- 風俗店の呼び込み
- ヒモ
- 引きこもり
芸人はたくさんいるので除く。俳優やミュージシャンもわりと。
暴走族は職業ではなかろう。ヒモや引きこもりもだが。
先代三遊亭圓歌の「駅員」はあまりにも有名だが、名古屋の登龍亭獅鉄さんもそうらしい。
中には、本当に珍しいキャリアだが、一切語らないという人もいるのでしょう。そんなのはもちろん、知りません。
昭和元禄落語心中の与太郎はおつとめ帰りである。
そういえば、タイガー&ドラゴンはヤクザだ。
市長出身の噺家なんてどうでしょうね。
若いうちに当選してすぐ辞めれば、ギリ可能性あるでしょう。
更新ご苦労様です
確かに元NHKのアナウンサー出身の芸人は珍しいですね。民放だったらお笑い芸人のコットンの西村さんがアナウンサー出身ですね
また、七がつく落語家さんも現役だと珍しいですよね。かつては金原亭駒七を名乗っていた落語家さんが複数名いてその中にはあの人間国宝の雲助師匠もいるみたいですが
いらっしゃいませ。
あとで気づきましたけども、NHKアナが噺家夫人というパターンはありますね。
逆にアイドル上がりのアナも増えましたけども、NHKは聖域ですね。
駒七、粋でいなせな名前でいいですね。
「七」のつく噺家さん、改めて調べてみたら上方に「桂七福」という方がいました。
あと亡くなった「いなせ家半七」。