七人の侍3(下・三遊亭楽生「阿武松」)

瀧川鯉朝師の「すたんどさん」。浅草お茶の間寄席では「すたんど」だった記憶。
師の擬人化落語のひとつ。ペコちゃん(街角のあの娘)や、サトちゃん(あいつのいない朝)と同じ方法論。

平日昼間にありがとうございますという鯉朝師だが、平日昼間にこんな新作を聴いてる贅沢よ。

さまざまな家を転々としてきたアンティークの電気スタンド。
ついに不忍池の古道具市で売られる。
思い出すのは、最初の持ち主、たかし君。しかし彼は地方の大学に行ってしまい、やがてスタンドも売りに出される。
独白するスタンド、急に意識が切れる。ああ、もうそろそろ寿命みたい。
別にいいけども、動かなくなる前にたかしさんに会いたかった。

マクラを振りながら、羽織の紐を組み替えていた鯉朝師。スタンドらしい、とっておきの所作ギャグが入る。

独白シーンを終えて羽織を脱ぎ、壊れたすたんどさんを抜きに普通の会話でできた落語になる。
不忍池の道具市は、あいにく雨。店先に小さな坊やがやってきて、懸命に道具を見ている。これは古伊万里だと言って。そんなわけあるか。
この坊や、落語を聴きまくっていて、古めかしい言い回しを多用する愉快なキャラ。
坊やを探しにきたお母さんは、道具屋の店先で少女漫画を見つけて喜んでいる。
しばらく少女漫画作家が列挙されるが、男しかいない客席はまるで反応しないのでくじける鯉朝師。いつもだったら女性がいて、反応があるもんだが。

坊やはなぜか動かなくなった電気スタンドに執着。
それ、たった今壊れたんですよ。
大丈夫です、おじいちゃんが電気に強いので、このぐらいすぐ直せます。
実はハッピーエンドの人情噺。

ひとり飛ばして、トリは7代目圓楽が内定しているらしい三遊亭楽生師。
直前の一席で凍りついた客席をほぐすのに、最適な人だった。この人の新たな魅力を、思わぬめぐり合わせで知ったわけだ。
大きな声で、変な空気が漂っていることをしっかり描写して、客全員をノセてしまうのだった。
実にもってホッとした。

師匠、円楽の三回忌が済んだところ。師匠は最後、喋れる状態ではないのに高座に上がっていた。
楽生師も、できることはやっておきたいと思うようになった。
いつも行ってるインドだけでなく、エジプトにも行ってきた。東京マラソンにも出て完走してきた。

毎年の富士山にも行ってきた。
先日事故のあった山開きの日に。5メートル前の見えない大変な天候たった。
8合目の宿泊所に、予約のない人も多数入ってきた。ある外国人は、Tシャツ短パンの上に1枚羽織る軽装で、青い顔をしており、本人もしきりに詫びていたという。
早朝にみんなで下山したという。クルマを吉田に置いた人まで、御殿場口から帰るハメになったのだと。
楽生師は、ここで落語をやるのだ。
高座を作る設備がなにもないが、それでも何年かやっていると充実し、なんとか組めるようになってきた。
最初は布団で高座を作ったら、沈み込んだりして。

桂文枝師は、もっと上、浅間神社で奉納落語をしたことがあるという。
ただ、それは神さまに向かって語ったものだ。
やや下界ではあるが、客に向かって喋った落語では、私が最も高い標高記録だと楽生師。
なにしろ東京タワー10本分の高さだから。

えらく盛り上がったマクラから、相撲の稽古の小噺振って、阿武松へ。
両国ではよくかかる相撲噺。
マクラでは勢いよかった楽生師、だがこの本編はずいぶん普通。
地噺の要素が強いこの噺だが、ギャグも別に入れないし。
なのに、マクラの楽しさがストレートに本編につながっている。
阿武松という噺を、楽生師が信じているのだろう。本来ジミな噺なのに。
私も、こんなに楽しい噺だったかなと驚いた。

阿武松は、本来敬意を払われてしかるべき要素を否定されたプロを、関係者が全力でそれをあるべき姿に戻す、そんな噺に思える。
相撲取りは体が資本。体を作るために好きなだけおまんま食うのは当然であり、その道に関わる人からすると敬意を持って遇されるべきなのだ。
いくらでも食えてしまう力士は、あるべきところに置かれるべきである。そういう、プロのあるべき論を語った噺。

1時開始のこの会、なんと終演は3時45分くらいだった。
終演時間があってないようなものとはいえ、熱が入ったものだ。
勉強会でも、すばらしい高座がいくつかあった。
また来たい会であります。 

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作成者: でっち定吉

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