3人目は三遊亭鳳志師。円楽党の隠れた達人。
昨年は3席聴いている。うち2席がこの勉強会。
この人も名乗らない。知らない人は来てないということか?
酒のマクラ。太陽と月の小噺。
弾けた酔っ払いがすごくいい。
べろべろの弟分が「寅さん」と口を開く。棒鱈。
勉強会で出すということは、日頃やってないのだろうか。
棒鱈は酒、田舎者、侍、芸者、音曲さまざまな要素が盛り込まれているため、寄席ではやりにくいなんてことを言うが。
鳳志師は、薩摩の侍よりも、弟分の酔っ払いに注力している。こんなやり方もあるのだなと。
冒頭、魚が骨だけになり、芋たこが芋だけになるあたりから、全力酔っ払い。実に楽しい。
田舎侍はこの世を変容させる楽しい存在だが、むしろ酔っ払いのほうが、その効果は強いと見たものか。
なるほど、この噺は田舎者と酔っ払いが、世界の変容を競う構造だったのだ。
そして多くの演者は侍に力を込めるのだけど。
大井大森蒲田川崎のネタ(鶴見まで行ってた)は、「これ鹿児島でやっても伝わらない」だって。
令和になっても基本鹿児島でできる噺とは思えないが、鳳志師だったらいけるかもしれないな。
そして嬉しいことに、棒鱈について私がこうあったらいいな、と思う工夫が全部盛り込まれている! こうだ。
- 弟分が芸者生け捕ってこいと仲居に言うが、悪態をつく前に寅さんが止めている
- 隣の田舎侍覗いてくるという弟分を寅さんがたしなめるが、本気で怒る手前まで
- 隣の座敷に飛び込む際、地のセリフがない。障子に指で穴を開けて覗いたあと、侍に見つかり倒れ込んでいる
- 弟分は、隣に飛び込んでもあまりペコペコしていない
アニイの寅さん、噺の中で目立つ役割は担っていないのだが、怒る、止める等、やって不思議のない行為をしない。そのことでむしろ存在が強調されている。
べろべろの弟分は、きっとなにか嫌なことでもあったのだろう。全部受け止めてやる、母性に溢れたキャラなのだった。
そして弟分はだいたい、「バカ!」などと仲居に悪態をつく。それを意図的に消した結果、嫌なムードが一層されている。
そして、地のセリフなしで(例:「やっこさん、すでに頭が重くなってますから覗き込んだつもりが」)、隣に飛び込んでしまう棒鱈は、初めて聴いた。
かねてより、なんで誰もこうやらないのかなと思っていた。
そして、邪魔なキャラ付けがないので、隣に飛び込んだあとの啖呵まで、滞りなく一気に進む。
ちなみにもう1箇所、板前が胡椒の粉を握って座敷に飛び込むシーンも、地のセリフなしでできるんじゃないかと思っているのだが。ここはさすがに鳳志師も、地のセリフ入りで進める。
鳳志師は、誰も削らない部分を削れてしまう演者である。
そして、削る行為に主体性がある。
非常にいい高座だった。
X見たら、鯉朝師が持っているネタ帳、「棒雪」って書いてありますけど。
ここで仲入り。前座がいないので、演者自ら袖でスイッチ入れて幕を閉める。
仲入り後は瀧川鯉朝師。黒紋付。
メガネ掛けたままの高座は初めて観る。
お客さまの中には全力で応援されていた方もいらっしゃるとは思うんですけどと断った上で。
都知事選は参りました。イヤなババアと、大嫌いなババアとの対決ですよ。
その前に鯉朝師、噺家は政治と宗教、プロ野球の噺はしないもんなんですけどと。今政治の話ばっちりしてますけども。
しちゃいけない話題のことは、師匠・柳昇に教わりました。
ただ、プロ野球については師匠からOKをもらいました。私千葉ロッテマリーンズのファンですけど。
師匠にどこのファンなのと師匠に訊かれて、ロッテですと。川崎時代のですよ。
ならいいよと言われました。ロッテならみんなに気の毒がられるから。
最近の若手は、楽屋でも気軽に、誰に入れるだなんて言うんですよ。
弟弟子に、鯉八と言う空気の読めない男がいます。これが気軽に訊くんです。「昇市、誰に入れるの」。
またこの昇市が輪を掛けて空気読めない奴で。「蓮舫さんですかね」。
なんで蓮舫かというと、「なにかやってくれそうじゃないですか」。なんだそれと。
いっぽう、弟弟子の鯉三郎は言うんですよ。「僕は田母神さんですね」。
おおと思いました。田母神さんはちょっと右寄りだけども、間違ったことは言ってないと思って。
立派だなと思って私、楽屋で鯉三郎と握手したんですよ。でも、握手したものどうしが千葉と埼玉在住という。
二人とも蚊帳の外でした。
今日は師匠の噺も出ましたし、私も古典やろうかと思いましたが。
でもこのあと二人は古典ですからね。新作でお付き合いください。覚悟してください。
楽しいマクラから、中腰になって裾を広げる鯉朝師。
アンティークな電気スタンドの擬人化の噺だ。
浅草お茶の間寄席で聴いたはず。
本編、「すたんどさん」に続きます。