拝鈍亭の瀧川鯉昇3(下・「佃祭」)

鯉昇師の爆笑マクラもうひとつ思い出した。卵かけご飯と専用醤油の話。
これもまた、健康のため栄養過多に気を付けたほうがいいという話からつながるのである。
最近、上手いマクラの特徴について記したところであるが、鯉昇師のマクラも、3人称である。
語っているのは演者自身の話題だが、民話のように対象と距離を置いてネタを語ることで、普遍的な視点が生まれてくるのだった。

鯉昇師の佃祭だが、一昨日に広告張ったCD(2巻)にも入ってるし、落語研究会と寄席チャンネルでも登場している。
だから私も聴いてるはずなのだが、でも現に師の持ちネタの印象はなかった。

佃祭は、「情けは人のためならず」を描いた人情噺。
この噺を始めるにあたり、なんと「縁起」から持ってくるという。
ラストシーンに出てくる撮ってつけたような戸隠さまと「ありの実」のエピソードに縁起が出てくるだけなんだけど。
別に抜いたって構わないようなエピソードなんだけども。実際、7月に聴いた柳家㐂三郎師は抜いていた。
ただ鯉昇師にとっては、こうした部分に強く現れるとおり、滑稽要素の強い噺だという認識なのだろう。
確かに、主人が事故で死んだと早とちりして葬儀を始めるなんていうドタバタは、滑稽噺のものである。
そして1席めのマクラで語っていたとおり、不謹慎さを気にせず語る。
かつての身投げを助けた娘さんのご亭主、「あっしゃ旦那が助かれば、ほかの人はどうでもいい」というセリフは、シチュエーションに合っていないからこそギャグとして機能する。
だが鯉昇師の場合、このセリフでむしろ「不謹慎」自体を狙っている気がする。つまり、穏やかな見た目に反しかなりブラックなのだ。
ふわふわ語っていれば、どんなブラックでも平気なんだろう。決して誰でもこうできるわけではない。

このブラックさと、蛇含草で死人を出さないようにするデリケートさが共存しているのが実に不思議。

佃祭のフライング悔やみはやりようによってはいくらでもブラックになるが、他には「湯屋で祭に行くのを誘われたが断った」人が大喜びしているシーンぐらいである。
やり過ぎはいけないみたい。
かみさんは悋気やみではあるが、この描写はそれほどない。

佃祭を聴きながら、2年前にここで聴いた芝浜を思い出した。
あれも、一切しんみりさせない純粋な滑稽噺といえる仕上がり。
芝浜も佃祭も、人情噺の中に楽しいシーンはあるし、クスグリもいろいろ入っている。だがそこに焦点を当てて滑稽噺として演じれば、滑稽噺になるのだった。
佃祭に関していえば、与太郎も非常に大事なアイテムだということがわかる。
人情噺の後日譚みたいな、身投げを探して歩く与太郎のエピソード、むしろこれが鯉昇師にとっては肝なんだろう。
そしてここを掛けるためには戸隠さまの仕込みが必要だが、昨日見た通り仕込みのための仕込みにはならない。楽しいマクラの一環として仕込んでいる。

落語の大ネタというもの、ストーリーが頭に入っているがゆえに時としてジれることがある。
演者がじっくり語っていて、先行する脳内ストーリーに追いついてこないことが。これはまあ、演者側には対策はさしてなさそう。
この点鯉昇師は、どう語るのかという楽しみが豊富にあって、じっくり大ネタランデヴーを楽しめるのがいい。

今年も楽しい拝鈍亭でした。
終えた後で鯉昇師ごあいさつ。作法として不思議はないけれど、先ほどまで完全に作りこんだ芸人モードの人が素に戻るとそのギャップが妙に楽しい。
もっとも、一席終えた師も素ではないのだと思うけど。
兄弟子・桃太郎によると鯉昇師は、もともと面白いわけでもなかったのに、自力で努力して面白くなった唯一の噺家なんだという。

拝鈍亭、来年の鯉昇師のスケジュールはすでに決まっており、2025年9月7日だそうです。

帰りは買い物しようと思い高田馬場に出てみた。
三叉路の目白台二丁目交差点を抜けると、大変急な下りの富士見坂。日が落ちていてもなお面白い。
まだ都内に知らない坂道がまだまだ多数あるものである。

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作成者: でっち定吉

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