あかね噺の会・柳家喬太郎「擬宝珠」を聴く

あかね噺からの当ブログ流入はすごい。
マンガレビューのほうは7巻までしか書いてない。そちらもまあそこそこには来るのだが、関係ないところからも検索アクセスがあるのである。

突然、「昔ながらのオチ分類」のうち「しぐさ落ち」のアクセスが増えた。
これもやっぱりあかね噺の最新話かららしい。死神が出たようで。

「前座噺」アクセスも相変わらずあり、どんどん伸びて総記事のうち15位まで上がってきた。
マンガのファン、大事にしないと。

柳家喬太郎師の復刻落語、擬宝珠(ぎぼし)はあかね噺の前からもともとアクセス多い。
2023年の正月、NHKで流れたときにも大量に流れ込んだ。
その後もまたちょくちょく来ているようであるが、今回はあかね噺ファンをターゲットに書いてみようか。
見方を変えると、「おもねる」ともいうが。

同じ演題を出すと、検索で食い合うことがあってちょっと心配なんだけども。
日本の話芸で先日放映された「林家彦いち という」はまさにこれ。
新しいほうは伸びないで、古いのも下がっちゃった。まあ、大丈夫だろう今回は。
「隅田川馬石 鮑のし」も二つ載ってるし。ただ、もうひとつあったのは消えた。

「第二回あかね噺の会」の公式動画。

ちなみにもともと、ヨネスケちゃんねるの喬太郎師について書こうと思っていた。
だが後半、唯一の弟子(おい太)についていろいろ語っているのに、配信開始前に廃業したそうで。
ちょっと空しくなってしまった。
師匠の側に対して厳しいことの多い当ブログとしては、好きな師匠の惣領弟子(過去にもうひとりいたのは見習い時だからなんとか無視するとして)が事実としてやめるというのはこたえるのです。
弟子がダメだったんだ、そうみな思いたがるだろうが、それはこの際関係ない。

ちなみに落語協会の噺家をリレーしていくこの企画、名前は出てないが次は三遊亭白鳥師である。
白鳥師のモノマネ、先日林家きく麿師が出してて爆笑したのだが、喬太郎師も同じやり方。
もっともこのモノマネは高座の白鳥師のものであり、実際はマジメな話をするときの白鳥師は両手をぶらぶらさせてるらしいが。

ヨネスケちゃんねるはまあ、いい。
そのあと引っかかったあかね噺の会を取り上げることにした次第。
いつもマクラが長くてすみません。

擬宝珠は、新作落語の大家である喬太郎師が、その能力をフル活用して蘇らせた復刻落語。
初代三遊亭圓遊という作者はいるのだが、埋もれていたこの噺を掘り起こし、魂を吹き込んだわけだ。
もともとが崇徳院のパロディっぽい。
喬太郎師もこのことに言及しているが、寄せていったのは喬太郎師であるため、触れておかないと不自然だと思うのだろう。
だが、噺の芯は大きく違う、金物舐め嗜好の噺。

噺はごく短い。崇徳院のような熊さんクエストがないから。
その前に振る、初心者向けマクラが面白いなと思って。

いまだに「お気軽にキョンキョンと呼んで」をやる喬太郎師。
私も昨年、西新井でこの初心者向けのセットマクラを聴いた。とても楽しい。
中にはほんとにキョンキョンと呼ぶ人がいる。しかも道路の向こうから。
マクラのオチ「殺してやろうかと思いました」で、さりげなく目を伏せるキョンキョン。
このひと工夫が好き。
寄席や通常のホール落語では、いまこんなマクラやるとダレる。

そして釈台について。
「キョンキョンの下半身が見たい」ファンを入れて。
これももう、もうおなじみの会では説明しない。
笑点は鼻メガネ師匠に任せます。

昭和元禄落語心中寄席芸人伝に触れる。どちらも当ブログに揃ってますのでよかったら。
特にドラマ化された落語心中は、喬太郎師も監修を務め、自ら出演もしていた。

喬太郎師の好きなジャンプマンガ。
トイレット博士、ど根性ガエル、アストロ球団、侍ジャイアンツ。
若いファンにはわからないので、「どんどん気持ちが離れていきますね」。
トイレット博士についてはどこかで熱弁してた記憶があるが。

お楽しみが血肉になる、楽しみがないと生きていけないとジャンプからつなげ、本編の準備。
とはいえ、あまりにも強引だったと思ったのだろう。「いい具合に収めますよね」と語って。
それから緑青を吹いた10円玉まで振れば準備OK。

趣味嗜好について、「度が過ぎると当人だけではございません。周りにも迷惑をかけるなんて話がいくらもございますが」。
この最後の「が」に注目してもらいたい。
これが鼻濁音である。あかね噺にも取り上げられていたかな。
ガギグゲゴは濁音。鼻濁音はンガ・ンギ・ング・ンゲ・ンゴ。
冒頭は濁音だが、江戸っ子は本来途中で出てくるガ行は鼻濁音になるのだ。

最近は、鼻濁音について決してうるさく指導がされているわけではないはず。
楽屋でいつも鼻濁音について説教していたというのが故・小三治。
現代、仮に鼻濁音がまったく使えないとしても、それを非難されることもまずない。
喬太郎師などもともと新作で売り出した人だが、古典で鼻濁音をよく使う。このあたりのこだわり。

そして、熊さんの使う江戸ことば。「まかしてくんなはい」。
師匠・さん喬から、「喬太郎の江戸ことばはわざとらしい」と評されるところ。
江戸っぽくしようと試みすぎということなのだろう。むしろ現代のことばでいいところなのに。
ベテラン師匠だからって、確かにこんな喋りはしない。
弟子を思いやるがゆえのこの評も理解できる。
だが私など、このわざとらしさが好き。もともと、喬太郎師の芝居らしさ(舞台の)には定評のあるところで。
江戸コスプレだと思うと、むしろ魅力を感じるところなのだ。
若旦那の気持ち悪い語りがピタッとハマるのも、実は過剰な江戸ことばの熊さんにも秘密がある。

フェティシズムの噺を堂々語るため、わかりやすさにこだわる喬太郎師だが、五重塔に掛けた足場を昇る若旦那について「ましらのごとく」。
ましらは猿であるが、わからなくてもいい部分は翻訳しないのだ。

あかね噺は今後も取り上げていきます。
ただまあ、読んで熟成する期間も要るので、まとめて13巻まで読んでということもできないけど。

作成者: でっち定吉

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