志のぽんさん出演の新婚さんいらっしゃい!はなかなか面白かった。
志のぽんさんの異常さばかり強調されてたが、テレビだから仕方あるまい。
次週予告を見て、志のぽんさんが前田吟についてもマクラで語っていたのを思い出した。
トリは三遊亭ぐんまさん。
この人、そもそも神田連雀亭メンバーのイメージがない。実際、ここで遭遇するのは初めてだ。
日曜日にあった落語協会謝楽祭の話。ぐんまさんは当日の寄席に出ていた。
当日のお客さんとのやりとりいくつか振って、「これ言おうか言うまいか悩んだんですけど言います」。
お母さんと女の子の親子に、ポチ袋をもらった。「ぐんまさん、これでご飯でも食べてください」。
丁重に辞退しつつしっかりもらって懐にしまう。帰ってから出してみると、妙に分厚い。
中身はふりかけ2袋。
ぐんまさん、「よく小噺に出てくるネタを本当にされた。ご祝儀はない」なんて嘆いているわけではないのである。
ボケるんだったら、渡したその場で開けてツッコめるよう、もっとフリをかまして欲しかったのだと。
家帰ってからボケに気づいても、消化しようがないではないか。
これぞまさにプロの芸人根性だなと感心した。
悔しいからごはんお代わりしたって。これはウソだろうけど。
ちなみにぐんまさんの語りが、妙に小朝師っぽいことを発見。
同じ協会とはいえなんの接点もなさそうだが。噺教わったりするのだろうか。
今からやる噺、あまりすっきりしない、気分よくないと思われる方も多いみたいで。
でも、悪人の一人も出てこない噺で私好きなんです。お付き合いください。
古典落語をやるようだ。
新作聴くつもりでいたのだけど、よく考えたら4年前、池袋で前座ぐんまの狸札を聴き、いたく感銘を受けたのである。
それ以来、ずっと彼の古典が聴きたいと思っていたので、ちょうどよかろう。
それにしても最近の新作派は、みんな古典落語が好きですね。必要に迫られて古典をやっているというより、もっと落語そのものに愛着があるようだ。好ましいことと思っている。
以前東京かわら版に出ていたぐんまさんの地元の会で、1日の午前と午後がそれぞれ古典の部と新作の部とになっていた。
新作が千円で、古典が500円だったはず。
新作派の古典というものは、得てしてこんなことになったりするようだ。
でも新作派の古典、のきなみ面白いけどね。必ずしも新作っぽい古典をやるわけでもない。
なんと肝潰し。
ああなるほど、悪人は出ないが陰惨なところがある。
誰に教わったのだろう。私が唯一現場で聴いたことのある好楽師のものとは違う。
それこそ小朝師でも持っているのだろうか。あとは彦六系から正雀師とか。
ちなみにぐんまさんの仕事かどうかわからないが、結末を替えてハッピーエンドにしていた。
いかにも新作派らしい仕事であって、彼の創意工夫なんだと思いたい。
冒頭も違う。
弟分の見舞いに行く兄貴。実は恋わずらいなんだ。
夢の女に惚れちゃって。どんな女だかはっきりしないんだけど。
ここは弟分のエピソードを詳しく聴いて、なんだ夢かよとなるものだろう。
最初から夢の女なんだとネタバレ。でも考えたら「夢の酒」だってそうだもの。
お医者の先生に訊くと、これは厄介ですぞ。
亥の年月時刻の揃った者の生き胆を飲ませると治ると書物に載っておりますが。いや、余計なことを申し上げてしまいました。
あえて空腹のままやってきたので、3席めは予想通り腹が減る。
頭の隅で、お昼何食べようかと考えつつしっかり噺を聴く。
「レバー食いたい」と思ったりはさすがにない。
兄貴が帰ると、明日芝居に行くという妹が泊まりにきている。
すっかり忘れていたが、妹が亥の年月が全部揃っていることに気づく。
妹が寝てから、やむなく殺して生き胆を取り出すことにする。弟分の親が、親を亡くした兄妹を育ててくれた。その恩は計り知れない。
かわいい妹を自ら手に掛けるなんて耐えられないが、でもこれは仕方のないことなのだ。
確かに、イヤだという人の気持ちもわかる噺。
でもこれは「仕方のないこと」なのだ。放っておいたら御あるおじさんの子は死んでしまう。
「やらねばならないことをする」という点において、スティーブン・キングの「ペット・セマタリー」を思い出した。
ぐんまさん、なぜ妹を殺す必要があるのか、短い時間で説明を果たすのが見事である。
しかし兄の熱い涙が落ちて、妹は目を覚ましてしまう。
出刃包丁を振り上げているところを妹に見られ、芝居の真似だと言い訳する兄。
「肝を潰したじゃないの」「なんだって。もう飲ませられない」
と、これが本来のサゲだが、すっと先を行く。
拍手のやたら早いつまらん客のいる席だったら、手を叩かれてたかもしれないな。
いや、演者の呼吸が見事だから大丈夫だろうか。
新たなサゲのおかげでハッピーエンド。
ぐんま古典はすばらしいです。
3席見事な神田連雀亭でありました。