柳枝のごぜんさま(下・甘味がフリの「禁酒番屋」)

柳枝師は下戸で、そのぶん甘味好き。
打ち上げ行く前からワクワクして、どこそこのモツ焼きでホッピーをやりたい仲間の気持ちがわからない。
わからないのだが、わいわいやるのは好きなのでついていく。でも呼んでくれた人に、それで楽しいのかと言われる。

よく我々こんなことを言いますねと、落語の頻出マクラを実際に演じてみせる。
飲み屋で自分の頼んだお酒が来ないときに、隣の人が一杯いかがですかと勧めてくれる。これがぜんざいだったらあまりしっくりきません。
でも、と地に返って柳枝師、私は隣のぜんざい全然いただきます。気持ちわかります。

酒飲みの気持ちはわからないと口では言いつつ、打ち上げでの観察眼でもって完全に理解している柳枝師。
自分の好きな甘味に置き換えればバッチリ。
これで禁酒番屋を攻略するのだった。

昔から、酒飲みの描写は上戸が上手いか下戸が上手いか論争があるところ。
下戸は飲み会で酔っ払いをじっくり観察し、所作など取り入れて膨らましていく。
この工夫でもって、一滴も飲めないのにやたら酔っ払いの描写の上手い噺家がいるものだ。最近配信で聴いた桂文三師など。
いっぽう酒飲みには、酒飲みの了見というものが当然肚に入っている。噺にはこれが大事なのだと言う主張もある。
もっとも飲む人はシラフで観察することができない。
ならば結局、酔っ払いの了見を知り、観察眼もあればこれが最強ということになるのではなかろうか。
どうやら柳枝師はこれを目指しているらしいのだ。

下戸の好む甘味を酒との対比として取り上げ、これで酒飲みの了見を語る。
面白いじゃないか。
観察と了見の織りなすハイブリッド禁酒番屋は、実に見事なものでした。
勉強会で掛けるということは、まだ手の内に入っていないということなのかもしれないが。いや、その中身を見る限り、いつ放送に乗ってもOKでしょう。

冒頭、禁酒番屋が生まれるまでのくだりはとんとんと。
最初に菓子屋に化けて出かける奉公人は、明らかな小僧さんだった。これは珍しい気がする。
小僧さんがどっこいしょってつい言っちゃう。
そして甘味をマクラで振ってるから、抜いたカステラを楽しみにしてる様子も伝わってくる。

禁酒番屋では、番屋のおさむらいが悪役である。職務にかこつけ人の酒飲みやがって。
悪役なので、しょんべん飲ませちゃっても許される。
とは言うものの、劇中で実際に酔っ払っていくのはこの人たちである。
だから、威張っていても愉快に描かなくちゃいけない。

しょんべん屋のくだりはもう、冒頭からべろべろで大成功。
目にピリピリしみるのに、それでも飲みたい意地汚さ満開。
ここで酒飲みの了見が、よく出てる。

聴いてる人の中にだって、下戸もいるだろう。
でも落語というもの、自分自身さして関心のないジャンルであっても、体系がきちんと描かれていれば誰でも楽しめるもの。
だから鉄道落語なんて、女性でも楽しめる。
これは演者だってそう。
演者が相撲にさほど興味がなくたって相撲噺はできる。
甘味好きの演じる酒飲みの落語を聴いて、スポーツに関心のないと宣言する柳家喬太郎師の「花筏」を連想するのであった。
女流落語家だって、廓噺、相撲噺、オタクの噺、なんでもやってみればいいのにね。

楽しい3席でした。
禁酒番屋にも、演者の人柄がよく出てる。
今年の能登の地震の直後、さっそくボランティアの会を実行したのが柳枝師だ。
番屋のおさむらいも、実に人間くさい人たちである。

しかし、芸人なんてもの、屈折に屈折を重ねて味が出ていくもの。そんな理解も世間によく見られる気がする。
なのに柳枝師にはまるで屈託が見られない。
そりゃまあ、生きてれば自分ではなく関係者がやらかしたりとかいろいろあるが。
それでもなお屈託なさそうな、芯の強いまっすぐな芸人。
まっすぐすぎて希少種である。
こういうところがさだまさし御大にも好かれるのであろうか。
一番近い芸能人として、ミュージシャンのグローバーを連想した。

柳枝のごぜんさま、また寄せていただきます。

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作成者: でっち定吉

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