テレビを10数年振りに買った。液晶が縦ブレするようになったので。
寿命だ。
クライマックスシリーズはラジオで聴いていたが、セ・リーグ最終戦にだけ間に合った。
画質はともかく、前のより音質が悪化したなあ。
25年ぐらい使っているBOSEのスピーカーを、パソコンから引っ越してきてテレビに直挿し、解決。
オツな組み合わせだ。
Android搭載のテレビなので、YouTubeやブラウザで観る配信も、テレビで観られる。
今までだって、タブレットやパソコンのモニタで配信やYouTubeを観ていたが、そんなに超大型ではないにしてもテレビで観るのは感覚がまるで違うものだ。
今さらながらこの事実に驚く。
YouTubeのCMも、テレビだとスキップせず普通に待ててしまう不思議。
テレビというものに、3種の神器のひとつとしての神聖さが残っていた時代を間接的に知っているからだろうかと思ったが、高校生の息子にとっても同じ感覚らしい。面白いもんだ。
いっぽう、すでに映像装置としてのテレビになんら意味を見いださない家庭も、いくらでもあるのだろうけど。
受信料を支払いたくないのでチューナーレステレビにする人も多いが、それで十分だという感覚も、一瞬で腑に落ちた。
チューナーレステレビも、私の楽しみからNHKなど一部を抜いたものであり、実はおおむね同種なのだった。
このテレビでできないことは、唯一radikoプレミアムを聴くことではないか。radikoアプリ非対応なので。
と思ったら、パソコンと同様にブラウザでログインして、大阪のラジオも聴けた。なんだってできる。
音質の問題も解消したから、今後はテレビでラジオを聴こう。
火曜日は出かけるのをやめ、仕事しながらテレビで落語を楽しむことにする。
今月ひと月だけのつもりで、産経らくごに入っている。ひと月入っていれば、ほぼ2か月分の配信が聴けるので。
今月あった、神田連雀亭の10周年記念の映像をさっそくテレビで観ている。第3部まであったこれをフルで聴けるので、今月は非常にお得である。
パソコンやタブレット、あるいはスマホの小さな画面で観ていた時点で、配信落語もいいもんだと最近つくづく思うようになった。
別に、現場に行かなくたって一緒だとそこまで言いたいわけではない。
テレビやラジオの落語も好んでいる私だが、配信はまた、意外なぐらい性質が違う。
編集しないことで、現場の空気が漂っているのである。放送禁止ワードで悩む必要もない。
それどころか、現場に勝る要素すらあることを、テレビ画面での視聴で発見したのであった。
配信でもって、あまりにもあまりな高座に腹が立ち、そこでもう聴かない、ということも中にはある。
マクラをすっ飛ばしてしまうとか。本編スルーしてしまうとか。
だが、今回の連雀亭配信を観ていても、このスイッチは発動しない。逆にいいことがあった。
出演者事前非公表のこの会、第1部からよく知っている二ツ目さんたちが次々登場する。
そして、そんなに好きじゃないという人も所属団体問わず結構出ていたのだ。いちいち誰かまでは言わない。
この人がいたら絶対行かないというほどイヤでもないが、連雀亭や、二ツ目の会に名前があると、避けがちなレベル。
ただ中には、「私は誰でしょう」タグを付け、名前を書かずに批判してきた人も混じっている。
ところが、こんな人たちの高座にまるで引っかからず、実に楽しく聴けてしまった。
みんな揃って急に実力が向上した、そんな気すらした。
とはいえ、客の反応を笑い声で探るなら、全員がウケてるわけでないこともすぐわかる。
こんなギャップを感じた理由、冷静に振り返ったらわかった。
現場にいると、なにしろ真剣に聴く以外にすることがない。いやおうなしに高座に向かい合う。
自分の意思で可能なのは、唯一寝ることだけ。
現場でボーッと聴くという選択肢はない。引っかかる部分があると、いつまでも気になり続けてしまう、そんなこともよくある。
そして決して悪い芸人でないのに、ささやかな部分が気になって無限に拡大し、集中できないこともあるのだ。
だが配信だと、余計な期待と一緒に、細かい引っ掛かりは最初から入ってこない。そんなに一生懸命聴いてないがゆえのメリット。
悪い部分が入ってこないことで、意外にもその演者の魅力が全開になったりして。
こういう人がたくさん出てきたのだった。
現場における落語の聴き方が、今までひょっとして間違ってたのではないかと、そんな気すらしてくるのだった。
初めて聴く演者だったら、配信で聴くほうがいい。そんなことまで思う。
新たなテレビの画面も、この感覚に大きく貢献している。
無編集のナマ感は残しつつ、リアリティだけ増しているのだった。
現実ならではの不満をカットした、いい空気。
第1部のトリは柳家吉緑さんで、トリネタではない高砂や。
真打昇進の決まったこの人は実に安定して上手い。こういう上手さは、そのまま伝わってくる。
得した感じ。