黒門亭25(下・隅田川馬石「淀五郎」)

トリは隅田川馬石師。
女性のお客さんが多いのも当然。

ネタ出しの淀五郎は3年前に、池袋の奮闘馬石の会で聴いた。
師が芸術祭大賞を獲ったのは、その次の奮闘馬石の会だったはず。
師匠が人間国宝になったのには、馬石師も貢献しているであろう。

3年前の高座は検索2位である。今日の記事とのカニバリズムがやや心配。
いまだ隅々までよく覚えている、印象の強い一席であった。このため今回やや躊躇したのだが、結果的には全然OK。
理由は簡単で、芝居だからだ。芝居噺である前に、芝居。
芝居なら、好きな演目を何度観たとしてもごく普通のこと。
そして馬石師の芝居噺は、芝居の要素が非常に高い。
落語の高座でもって本物の芝居が味わえる贅沢さ。
馬石師はもともと役者志望であったわけで、演技について思うところは多々あるだろう。

江戸の日千両は、吉原に魚河岸に芝居小屋。
芝居小屋は中村座に市村座に森田座。
こんな背景の説明の部分で、すでにいい気持ち。どんなに上手い人であっても、説明は説明としてなされるものだけども。
師の語りが、適度に流暢で、適度に朴訥だからであろうか。不思議に魅力的な語り。

森田座の狂言は忠臣蔵。
團蔵が紀伊国屋の抜けた穴を、相中の役者澤村淀五郎に任せる。判官に大抜擢。
忠臣蔵四段目は通さん場。
判官切腹の場面が、芝居の説明を兼ねてごく自然に始まっている。前回、これが実は淀五郎の演ずる芝居であり、花道の團蔵がこれを観ている状態なのだと知り、感嘆したものである。
わかっている今回だが、やはり自然。芝居の説明が切れ目なく実際の淀五郎につながっている。
まずい芝居に、近う近うと言われてもそばに寄らない團蔵の由良之助。

新たな気付きはこの次の場面にあった。
楽屋で團蔵親方に詫びを入れる淀五郎。
この際の團蔵の返しが、まんま芝居であった。場所は楽屋であるのに、舞台で演ずるような、極めて大げさなセリフを吐いている。
なるほど。
芝居であるからこそ、「まずい役者は死んじまえ」と語っても、許されるものらしい。
演者の思いもあるのでは。團蔵に、素のままで生々しいセリフを吐かせることができないのかもしれない。

ちなみに、淀五郎が教えを乞う中村仲蔵はというと、こんなセリフ回しではない。
仲蔵はまったく芝居掛かってなどおらず、きちんと等身大の人のセリフとして優しく淀五郎に語りかける。

「お前は主人で俺は家来だ。家来に教えを乞うやつがあるか」という團蔵のセリフもなかった気がする。
結局こういう部分が、現代人にとって無視できないパワハラっぽさを感じさせてしまうらしい。
大名家の主人らしく腹を切ればいいんだ、でもう十分みたい。

現代の落語の客が噺に没入するのを妨げられてしまう、パワハラ要素だと考えかねない部分は、馬石師はそのすべてに疑問を抱いているようだ。
仲蔵が言うように、團蔵は確かに自分の演技を犠牲にしてまで、淀五郎に気づかせようとしている。
だが、こんなところを強化したところで「殴ってるほうも痛いんだ」みたいな、時代にそぐわないことになりかねない。
といって、根本的に作り変えようなんていうのではない。
客のスイッチが発動しないよう、あらゆるセリフをさりげなく穏やかに変えている。実に注意深く。
芝居噺「淀五郎」は、現代人の気になりがちな部分を引っ込ませてやりさえすれば、強い生命力を持った噺なのだった。
その生命力、噺の肝は、淀五郎が自分の中ではっきり芸に開眼したことにある。仲蔵の具体的なアドバイスはあったが、しかし自分で気づけないと意味がない。

仲蔵のアドバイスは、もっぱら役者の了見の部分に重点が置かれている。
澤村淀五郎が腹を切るのではない。大大名が切る。その際、家臣に対してとても済まないと感じながら。
この部分には、淀五郎はまるで気づいていなかった。

芝居の外形の話も仲蔵はアドバイスしている。
だが、振り返ってみると非常にあっさりしているのだった。六段目寛平の切腹とは違うんだから腕を決して落とさないこと、その程度。
「腹に刀を突き立てたら、人間は痛い、でなくて寒いと思うものだ」なんて結構重要なセリフと思っていたが、ない。
前回はあったかもしれない。
秘訣として教える青黛(せいたい)も、実にあっさり。なにしろ、これを芝居の本番で回収していない。
実に絞り込んだアドバイス。
外形に関するアドバイスが手厚すぎると、テーマをむしろ損ねると演者が考えているのではないだろうか。

張り詰めた噺は、3日目の芝居の中で徐々に緩やかにほどけていく。
ここから笑いも緩やかに解禁される。
鮒侍じゃと團蔵の帥直に罵倒される判官、本気で斬りかかろうとする。
笑いをまぶせられているが、すでに淀五郎が開眼したことを伺わせる重要なシーン。

淀五郎が一夜で化けたごとく、落語の客にもいろいろ気づかせてくれる作品でありました。

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作成者: でっち定吉

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