産経らくごの、先月の連雀亭配信も数回観直した。
新作特集で、たまたまだと思うが遊かり、信楽、喜太郎、昇りんという芸協所属メンバー。
これはいい内容だった。でも、真剣に観てないので、適度に内容忘れてしまう。
忘れてしまうので、また聴く繰り返し。
こんなのが配信の緩い魅力である。
連雀亭は各団体混合。とはいえ楽屋仕事を一緒にしていた芸協メンバーだけというのは、とても気楽なようだ。
内輪ネタもたくさん放り込んで、実に楽しそう。
産経らくごで聴ける配信の量はとても多いが、日々消えていく。
しかし「元取らなきゃ」と思うと、今度は緩い楽しみには浸れなくなる。ちょっと機会を逃すぐらいがちょうどいいのかもしれない。
そうこうしてるうちに、「これは」という一席について、繰り返し聴いてブログで取りあげればいいかなと。
神田連雀亭今月のイベントの配信、第1部は妙に楽しんだわけであるが、第2部はまたテイストが異なっていた。
画面を通してもわかるぐらい、現場の客の気がそれていた。
演者の責任もあろうが、でも露骨にしくじった人もいなかったのに。
現場の客が見たものと、配信のこちら側との感覚が大きく異なる、それはそれで、なんだか妙に面白かったのである。
能動的に笑うことを他人に委ねているお年寄りが、なぜか集まってしまったような雰囲気。
トリの談吉さんが、男の人ばっかりですねと言っていた。そして妙に上手(かみて)に固まって座っていたそうで。
演者が空気をなんとかしようとするのだが、いっぽうもう抗うだけムダだというあきらめも伝わってきたりなんかして。
立川寸志さんは、この空気をなんとかしようと「いったん引っ込んで再度登場」という策に出る。
自分は番頭なんで盛り上げないといけない、いつもの自分の作法とは違うがと断って。
しかし、どよんとした客の前にはなすすべもなかった。
なんとかしなきゃと掛けた「小林」という新作(ネタ帳には小林・改とある)も、正直ちょっとなんだかなと。
この高齢二ツ目さんが古典落語の名手であることは私もわかっている。この日の客、恐るべし。
いっぽう、トリの立川談吉さんはもう抗うのをやめ、新作人情噺「とり」(鳥)を掛けた。抗わずにしんみりさせることを狙ったこの作品は、現場においてもキレイに着地し、大団円に、なったものと思う。思いたい。
立川流の中では、談吉さんはなかなか好きなほうの人。だが、ろくに聴けないうちに卒業である。
巡り合わせもあるので。
思えば序盤からおかしかったのだ。
トップバッターは三遊亭好青年さん。
この愉快なスウェーデン人が掛けたのは、幻の前座噺「八九升」。私は前座時代に一度聴いた。
つんぼの噺。配信はこんなのも出せるし、そしてご本人、その効果を狙っている。
だが、現場の客には響かなかったようだ。
そして、その次に出てきた瀧川鯉三郎さんが、このどんよりした席の方向性を固定してしまったようだ。
私はこの人、まったくの初めて。前座時代は「どっと鯉」。
演目は「四宿の屁」。
圓生が寄席でよく掛けていた逃げ噺。その知識しか持っていなかった噺を、初めて聴いた。
江戸の四宿である品川、新宿、板橋、千住の女郎たちのこく屁の噺。
時間が余ったので、と断って最後に掛けていた「吉原の屁」は、よく小噺で聴くもの。「して地震は、屁の前か後か」というやつ。
四宿の屁のこきわけ、実に楽しいものだった。鯉三郎さんの落ち着いた語り口も実に気に入った。
だが、びっくりするほど客には響かない。
なんだろうな。この日客席にいた人に訊いてみたいもんだ。
私は、響いていないことを自覚しつつ、しかしながら腰を据えて屁の小噺集を語りきった演者に敬意を表するものだが。
終盤になっても盛り上がらない中、柳家花飛さんが掛けていたのが、どこかで聴いた新作。
先日演芸図鑑で、師匠・花緑が洋服に椅子スタイル(同時代落語)で演じていた「電信後退」である。
この新作のデキはよくないので、弟子と相談してブラッシュアップしたほうがいいんじゃないかなんて書いてしまったが、弟子がその噺を掛けている。
というか、そもそもが花飛さんの作品だったようだ。この人は古典メインだが、隠れ新作派である。
スマホを壊した男が、「スマホもこうだったらいいのにね」とアイディアを出すうち、どんどん時代を遡っていくという。
客が客だから引き続きウケてないのだけども、花飛さんが語った噺のほうが、同じ内容でも面白かった。
というか、ひたすら申しわけなさを感じる。作品自体にケチを付けたのは事実だし。
「師匠のはつまらないが、作った弟子のほうが面白い」なんて感想があったとして、それもまた申しわけない。
花緑師への批判はそこそこ反響あったので、弟子も読んだかも。
師匠を批判した後寝覚めが悪いので、柳田格之進を褒めましたけどね。
花飛さんについては、披露目に行くので許してください。
もともと私、二ツ目さんでもかなりよく聴いてる人で。
花飛さんのぼそぼそで抑揚のない語りが、この新作に妙にハマる。抑揚豊かな師匠より。
最近、私は落語の口調の基本は棒読みにあるべきだと考えている。基本があった上で抑揚豊かになるのはいい。
もっとも、この日の客に花飛さんのぼそぼそ口調がハマったとも思えない。それでも、画面のこちら側にはちゃんと響くのであった。
ところで第1部のトリ、吉緑さんが花飛さんの娘さんの話を出していた。
ご本人からはかつて娘さんの話をマクラでよく聴いたが、ある時からばったりなくなった。差し障りがあるのかと思っていたのだが。
客と噛み合わないままだったこの席、結果的に新作が4作品と多かった。
完全なる新作派は春風亭昇りんさんだけなのが面白い。それだけみな、なんからの意図を持って立ち向かったわけだ。
残った古典も「猫の皿」を除けば珍品ばかり。桂小右治さんの茄子娘とか。
実は大変おトクな日だったのでは。
あとは講談と浪曲。
噺家さんたちは闘っている。
批判するやつに対しても。
連雀亭の配信は、あと3部も残っているが今日はこれまで。