続いて桂枝太郎師。
噺家の心得として、かっこいいこと(なんだっけ)言った人がいる。でも寿輔師匠だ。
三遊亭のある師匠みたいに、自分が大したことないくせに苦情を言ってくる人がいるだって。あの人かな。
浅草に行くと演芸ホールがあります。先代の枝太郎が開いた寄席です。
今、4階は漫才の劇場、東洋館だが、昔はストリップのフランス座だった。
間違えて入ってきた人がいて、柳昇師匠のトリの高座で「いつまで喋ってるんだ、早く脱げ」と。
楽屋が描かれる。前座がドンドンドントコイと太鼓の稽古をしている。先輩がよくやってるなと声を掛けていく。
親は応援してくれてるのと訊かれるが、勘当されている。
その前座が高座に上がり、へんな小噺を喋っている。
物忘れが激しく、耳の遠い爺さんと婆さんの噛み合わないが、奇跡的に一致している会話が続く。
婆さんが、同じ話ばっかりしていると返すと、会話が元に戻る。
なんだか、メタ感満載で現在位置を見失う。
劇中落語もそこそこは面白いが、描写されているのは前座がスベった様子であるため、ひたすらウケていいわけでもない。
しかし、この噺は二度目だ。2022年の浅草下席、枝太郎師匠のトリで聴いた「浅草の灯」。
寄席のもようをまるごと覚えて帰ってくる私が、トリなのにほぼなにも覚えていなかった噺。
浅草お茶の間寄席のカメラが入っていたので、その後一度は聴いたはずなのだけども。それでもなお。
そんな捉えどころない噺も、二度目なのでメタ構造も含めほぼ完全に頭に入った。おかげさまで。
もっとも今度は、初めて聴いた客が混乱してそうだけど。
岩手の田舎から、母ちゃんが楽屋を訪ねてくる。お前には心配掛けないよう黙ってたけど、父ちゃんはもう亡くなったんだよ。
先輩の配慮で、母親に浅草の町を案内してやる前座。母ちゃんには、なぜかロック座が宝塚劇場に映る。
スターの広場の、青空球児師匠の手形に、瀧川鯉太がゲロを吐いた。これがほんとのゲロゲーロ。
母ちゃんが帰るというので見送って楽屋に戻ると、お前何してるんだと師匠がいる。
今、お母さんが倒れたそうだ。新幹線で早く帰りなさい。
人情噺であり、浅草ガイドなのであった。
仲入りの前のこの出番に聴くのも、なかなかいいものだった。
仲入りは、目当てにしている柳家蝠丸師。
寄席より先に、メディアで売れ気味の師匠。いずれにしても世間が着目しているのは、長年ファンやってるとまでは言えない私も非常に嬉しい。
この愉快な師匠をもっと聴きたいのだが、なかなか機会が少ない。12月池袋中席は主任だから来るつもりだが。
来年あたりは夏の夜席も聴かないと。
こないだ初めて電車で席を譲られました、といつものネタ。
結論としては、年寄りに見られたのではなく病人に見えたのだろう。
私は下北半島の出です。
古い蔵には古い絵があったりするが、鑑定してもらうとほとんど偽物。
円山応挙という絵師がいたが、本物はごく少ないらしい。幽霊の足を省略したのは応挙の功績なのだ。
ということで、応挙の幽霊。
なかなか珍しい噺ではある。さすが蝠丸師、当たり前の噺は出さない。
季節的にはどうなんだろと思うが、私は嬉しい。
これも圓窓に教わったのであろうか? 蝠丸師は、落語協会からせっせと芸協に珍しい噺を持ってきている人だと思う。
応挙の幽霊は、絵から幽霊、実はモデルは花魁が抜け出てくる噺。
ストーリーはごく単純で、あとは演者の遊び次第である。といって、お菊の皿のように派手には遊べない。
蝠丸師が緩くゆるく遊びながら語ると、実に楽しい。といって、遊び自体がメインでないから不思議。
遊びが、幽霊が絵から抜け出るストーリーを活かすのだ。
道具屋が5円で仕入れたばかりの応挙っぽい絵が、100円で売れた。もとより売る方も買う方も、本物とまでは思ってない。
絵は応挙の書いた本物。吉原に来た応挙が、幽霊に模して花魁を描いた。
絵の幽霊に酒を献じると、礼を言って抜け出てきた。
道具屋は「南無阿弥陀仏南無妙法蓮華経寿限無寿限無わて中橋の加賀屋左吉方から参りました自らことの姓名は」などとわけのわからない経を唱えている(うろ覚え)。
花魁は、高尾太夫には敵わなかった。名は八王子太夫。
一晩じっくり絵の幽霊と主人は飲み交わす。
蝠丸師、ボケのあとで「中央線沿線の人しかわからないね」とか「落語に詳しい人しかわからないね」などと軽いツッコミを入れている。
実は、これはなかなかない魅力だと思う。
私もよく書いてるのだが、現代はお笑いの影響でボケっぱなしがよくウケる時代。
だが、師は軽く軽くツッコんでいく。
これ、一見味消しになりそうな気がするのだ。まったくそんなことにならないのが、師の味なのだと思う。
師はわりと緩いツッコミをどの噺にも入れている。それに気づいた。
安易にマネすると、絶対しくじる気がするのだけど。
馬鹿な噺だなあと思いつつ、絵の中のいい女と酒を酌み交わすなんて、なかなか魅惑の描写なのだった。
この形容できない不思議なムードこそ、落語の魅力の本質ではないのか。そんな気すらする。
いい噺を聴けた。
昼席後半戦に続きます。