日曜日の夕方は拝鈍亭へ。
大盛況だった。
さん喬師を聴いた前回の会は、3年前。すぐに空くもんだ。
今週、産経らくご配信のアーカイブで、さん喬師の芝浜を聴いたばかり。
そして、先日の大手町落語会の芝浜も、出かける直前まで聴いていた。
芝浜が出たらどうする。出ました。
45分オーバーの熱演。
のっぺらぼう | やなぎ |
時そば | さん喬 |
(仲入り) | |
長短 | さん喬 |
芝浜 | さん喬 |
最初に弟子のやなぎさんが出て一席とのこと。
来年はもう真打になってるから、最後に連れてきたのだろう。
最近福岡に行くのに飛行機乗ったら、エコノミーの全席タブレットが付いていた。遊び放題で、福岡では足りない、ピョンヤンまで行ってもいいくらい。
機内の落語もタブレットで聴ける。もう、あの悲劇はない。
あの悲劇とは、芝浜のサゲの直前で「ポン」と音がして機長のどうでもいいアナウンスが入ること。
若者には「タイパ」が流行っている。
タイパ落語会は幸いないが、さん喬一門で旭川行ったときの、地元の新聞のレビューはタイパだった。
「毎度おなじみの前座噺寿限無で始まり、熱演のまま幕を閉じた」
え、師匠の高座は?
本編はのっぺらぼう(改作)。
吾妻橋で身投げの娘を助けたらのっぺらぼう。そば屋の屋台に駆け込んだらのっぺらぼう。そこをかみさんに起こされたがかみさんがのっぺらぼう。
そこまではいいが、この先異次元に突入。
のっぺらぼうに起こされたのが夢で、またかみさんに起こされるがやっぱりのっぺらぼう。
そして、未来でもって女子高生になり、新学期にトーストをくわえて登校すると転校生にぶつかる。
オリジナルののっぺらぼうもそういう噺だけど、またかみさんに起こされ、学校の続きがあり、長くていささか飽きた。
先日池袋で聴いた新作「さよならたっくん」はすごくよかったんだけど。
古典の改作っていうのは得てして中途半端になっていけない。
純然たる新作だとメタ構造自体が楽しいこともある。
22分もやっていた。
さん喬師登場。
出囃子が鳴らないんでどうしたのかなと思いました。高座終えたやなぎがすぐ飛んでいって操作してました。
どれだけ芸人をこき使うんでしょうか。
やなぎは来秋真打昇進です。
最近は真打も意味合いが変わってきました。本当にスタートラインになりましてね。
本来はまことを打つなんて書きまして、すごいことですが。
どうぞご贔屓に。
こないだ築地に行きましたら外国人だらけで。
魚を食べに来たのかと思うと、ラーメンなんですね。
ラーメンもいいですが、おそばのおいしさも味わっていただけたらと思います。
我々の子供の頃は中華そばという言い方のほうが多かったですね。
屋台の中華そばのチャルメラ、食べさせてもらえることはなかったんですけど、でも懐かしい音です。
屋台のそば屋は風鈴ですね。親馬鹿ちゃんりんおそばの風鈴なんて言いまして。
おそばの発祥の地ご存じですか。これが大阪なんですね。
そば切りは大阪で生まれたんだそうで。それまでは作るのが面倒なそばがきしかなかったんです。
砂場、というのも砂を置いておく場所のことで。
人足がたくさんいましたから、そば切りも発展したわけです。
これがだんだん東に入ってきたんでしょう。
師匠の小さんは、長野に巡業に行くときは、おつゆだけは近所のそば屋のつゆを分けてもらって持っていきました。
おそばは現地がおいしいんですけど、つゆは甘かったようで。
土地土地のものですから、どれがいい悪いは本当はないんでしょうけど。
急に寒くなったのと、弟子ののっぺらぼうにそば屋の屋台が出てきたので時そばになったらしい。
さん喬師の時そば、現場では初めて遭遇するようだが、テレビでは何度も聴いていて、おおむね頭に入っている。
それでもなお、高座に向かい合っているといろいろ新たな情報が入ってくるものだ。
1周目のおそばは本当に旨そう。
この晩おそばにした人も多かったのでは。小さんが時そば出したあとは近所のそば屋が繁盛したと言うし。
2周めのそば屋は強烈な個性の持ち主というわけではない。
演者はみなこのそば屋のエキセントリックぶりを強化するが、さん喬師は異なる道を行く。
師が描くのは、トンデモそば屋に当たってしまった主人公の感情の変遷である。
極めてまずいしサービスもめちゃくちゃなお店に当たってしまったトホホ感が基本らしい。さすが洋食屋のせがれ。
根本にペーソスが隠されている。実は人情噺の要素まで盛り込まれている。
1周めの調子のいい男を真似てご機嫌な主人公だが、湯が沸かない、器が汚い、箸が割ってあるとだんだんテンションが下がってくる。
そば屋を上に振り切るのでなく、主人公が下に落ちてくるのが笑いの技法。これはまさしくペーソス。
おつゆは渋いわ、おそばは太くて餅みたいな食感だわ。もうどん底。
しかしながら落語によくある「災難を楽しむ」ムードも漂っていたりして。
主人公もおそばのどこかを褒めることはもはや断念する。
すでに、一杯しか食わないことの言い訳もしない。
しかしながらここでパッと顔を輝かせ勘定に挑む。
やはり人情噺っぽいのだった。
30分強の高座。
師が袖に下がったあと、客席がジワジワしてくるのがたまらない。