浮世根問という噺、現場で3回だけ聴いたことがある。
柳家圭花、柳亭左ん坊(現・柳家小太郎)、柳家小はぜ。いずれも柳家の二ツ目、前座。
ちなみに左ん坊さんのものだけ「やかん」ぽくてスタイルは違った。
前座噺であり、昔はよく出たようだが。珍品ばかりやってる圭花さんが掛けているところからも、珍しさがわかる。
芸協にはイメージの一切ない噺であるが、鯉丸さんは非常に柳家っぽくやっていた。この人にはそんなのが似合うみたい。
誰に教わるのだろう。
隠居のお昼時にやってきて、ごちそうさまですと厚かましい八っつぁんを隠居がたしなめる。お前さん話の相手ぐらいしなさいよ。
八っつぁん、相手はするが隠居への返答で遊んでいる。
隠居は知ったかぶりではないのだが、「嫁入りとは、婿の目がふたつ、嫁の目がふたつでよ目入りだ」とテキトーな返答。
でたらめな問答は平和に進んでいくが、八っつぁんはなかなかしぶとい。質問がどんどんエスカレートして、地獄極楽はどこにあるんすかと隠居の答えにくい質問へ。
隠居が別の隠居(岩田ではなかった。錆田だったか?)から聞いた、宇宙の果てに関する質問で八っつぁんが100円巻き上げたエピソードが入る。
宇宙の果てまで飛行機で突き進んだら、最後は塀がある。塀を突き破ったらどうなるんです。普通、塀があったら戻るだろう。それでも突き破ったら。そこはもうモウモウとした場所だ。モウモウの先は。宇宙が粘ついていて先に進めない。
仏壇まで出てくるフルバージョン。
はねっかえりの八っつぁんと、一応はなんでも知ってる落ち着いた隠居との対比がすばらしい。
ぴあ落語ざんまいは加入したことがないが、そこで聴けたら喜ぶ人も多いんじゃないかと思います。
瀧川一門の本格派、鯉丸さんに期待です。
トリは三遊亭好志朗さん。連雀亭には今年入ったばかりなので、ここで聴くのは初めてだ。
今年は2席め。
例によって時事小噺をいくつか。
軽く(極めて適切に)ウケて面白いのだけど、ほぼ忘れた。
天王寺動物園の飼育員が動物の餌(野菜)を盗んだネタはかろうじて覚えている。
軽くて次とつながらないから、いつも忘れちゃう。
江戸時代の身分制度について語る。
妾馬でもやるのかなと。だが全然違う。
辻斬りの、「誰だ毎晩叩きにくるやつは」の小噺。
刀を斬れ味を試したい侍が、斬る相手をいろいろ選んでいるシーンからして楽しい。こんなところ楽しい演者はあんまりいないと思う。
そういえばこの小噺のほうが、本編「首提灯」よりずっと知られてるね。
首提灯のマクラとして、「胴斬り」のダイジェスト。
辻斬りに遭って、上下半分ずつに分かれた男、上は湯屋の番台で、下はこんにゃく屋でこんにゃく踏んで働く。
友達が上の用件を下に取り次いでやる。上がのぼせ気味だから三里の下に灸据えてくれと。
このくだりもやたらと楽しい。秘訣は、この取り次ぐ男が「こっちで据えたもんがあっちに効くのかね」と不思議がってるからだろうか。
びっくりしすぎたら落語の小噺でなくなるけども、実にほどがいいナンセンスワールド。
ところで、下のほうが口を利けるのはなぜだろう。こんにゃく屋の主人が「無駄口叩かないからいい」と言ってるのに。
上方落語だと屁で語れるようになるのだが、その描写は汚いと思うものか、なかった。
本編が首提灯であることはもう明らか。
現場では、桃月庵こはくさんからしか聴いていない。知られていない噺でもないが、事実上浮世根問と互角の珍品であろうか。
落語研究会で出た柳亭市馬師のものはよく聴いた。
好志朗さんも、市馬師のところへ教わりにいったのではないかな。
こはくさんのものは、町人が嫌な奴すぎた印象。こんな奴、斬られて上等だよと。
この点好志朗さんの町人、悪態が実に素晴らしい。
この一席、小噺を含め「他の噺家にはそうそうできない部分での楽しさ」を都合3度味わったことになる。
悪態が素晴らしいとはどういうことか。悪態そのものがリズミカルであり、そして詩になっている。
悪態聴きながら頬が緩むのである。今にも斬られるんじゃないかという緊迫シーンのはずなのに。
緊迫したシーンへの恐怖は残りつつ、「怒り」なんて要素は早々消えてしまった。
本来こうあるべきなんだろう。大工調べの啖呵を思い起こすなら。
胴斬りを振っているので、首を切断された町人が、そのことに気づかない状況はすんなり伝わってくる。
品川の女のことを思いながら、なぜか首がだんだん横向いてくる町人。直してもまた曲がる。
ようやく気づいたのに、「ニカワでくっつくかな」とヨワッてはいるがそんなに切迫感はなく。
いやあ、これはすごいなあ。
このナンセンス丸出しの噺を語る上で欠かせない演者のトボケ具合は、市馬師にすらないかもしれないなと。
三遊亭好志朗、いま一番面白い二ツ目といっても過言ではありません。