仲入り休憩後。
最近背が縮みまして。みなさんはどうですか。
背が縮んで、そして10kgぐらい痩せたんですよ。そうすると着物の裾が長くなっちゃって。
この高座に上がるときの階段も、裾踏んじゃうんで怖いんですね。
またコロナとインフルエンザが流行ってきたようですね。今日もマスクしてらっしゃる方が多いですが。
先日電車で高校時代の友人にばったり遭遇しました。同窓会が多いわけではないので、20年振りぐらいに会ったんです。
お互いマスクしてたのに、しかも20年経ってるのに「おう、稲葉じゃないか」「ああ小林」ってわかるもんですね。
あ、稲葉ってのは本名ですね。
してみますと、顔の下半分はいらないのかもしれません。目だけでなんだかわかるもんですね。
双子さんでも、よく見ると違いがわかるものです。まったく同じ顔の人はいません。
顔がみなさん違いますし、性格も違います。
性格の同じ人だったら相性が合うのかというと、そうでもなかったりしますね。
長短に入るのだなというのはわかったが、おやと思った。
「十人寄れば気は十色」というわかりやすい格言を振らないんだなと。
陳腐に感じるのであろうか。
それはそうとさん喬師の長短も、時そばと同じぐらいテレビで聴いてるんではないかと。
しかし、固定化してはいなかった。短さんのキセルの所作とか、新たなものが入っていたように思う。
人間が面白いので、長さんののんびりした話振りに、客のほうはイライラしない。イライラしてるのは短さんだけ。
そして、長さんだけでなく、短さんが面白いというのが小さん譲り。
今日は長短で締めるのかな、それはさすがにちょっと物足りないなと思う。
しかしサゲ付近になってもまだ午後6時20分になっていない。これはもう1席あるなと。
短い一席でも掛けるかなと思ったら、芝浜だった。
やなぎさんが芝浜を利用だけしていたが、出すんだ。
今週師の芝浜を一つ半配信で聴いたのは私の勝手であり、文句言うもんではない。だいたいこの時季しかできないんだし。
そして非常に長いバージョンだった。
前半は長くても全然OKだが、アーカイブのものより後半が長い。
長短を終え、またマクラ、というか世間話のさん喬師。
昔のトマトやキュウリの話。トマトは今みたいに赤くなかったし、固くなかった。
別に今のトマトがどうということではなくて、昔のトマトの旨さを語る。
学校から帰っておやつとして食べるトマト。
昔のトマトが苦手で、今の子供はトマト嫌いになる理由がなくていいなと思ってる私にとっても、なんだかとても旨そうなトマトの描写であった。
それからキュウリはトゲトゲで、曲がっていた。
折るとパキンと金属音がした。
これ、日本だからパキンですが、中国だとペキンですかね。フランスだとパリ。
そしてコメカミ付近をかく仕草の師匠。「反省したほうがいいかもしれません」。
他にもつまらないギャグを言って反省するシーンがあった。
ところで、千両みかんに進むのかと思った。季節的にはあり得ないけど。
しかし、食材の話から、和牛はもうサシの油が多くて食べられない。ウソだと思ったらごちそうしてくださいなんて話題から、アメリカの牛肉は脂がないから500g食べられるんでしょうねという話へ。
時そばで出してた築地から、さらに日本橋に時代をさかのぼる。
さらに日本橋以外に、芝に河岸があったのだと振ってようやく準備完了。
ともかく、本編に入ったのはすでに終演時刻の6時半を回っていた。
そこからたっぷり45分である。
さん喬師の芝浜は、結末から逆算して楽しむものである。
そうすると、かみさんがいかに必死にウソをついていたかがよくわかる仕掛けになっている。
大家はなにせ、どうごまかすかまではアドバイスしてくれなかった。かみさん懸命に、夢にすることをなんとかかんとか思いついたのだ。
さらに亭主は、拾った50両を使い込む気マンマンだ。
かみさんのたったひとりの孤独な闘いが描かれる。
時系列でいうと、財布拾ってから一回寝て、それから湯に行って友達呼んでどんちゃん騒ぎ。
かみさんはこの間、自分で決意したウソを突き通す間もなく、どこへ進むかわからない亭主の暴走をハラハラしながら見守るのだ。一度は、夕市に行ってくれと水を向けたのだが。
亭主がもしかしたら、「カネ拾ったんでもう、働かなくていい」と仲間に言うかもしれない。それはもう気が気じゃなかったろう。
魚勝が河岸に行かなくなった理由は、明白には描かれないが喧嘩らしい。
もともとなんで魚屋なんかになったか後悔してもいて、それで何かがキレてしまったのだろう。
だが早く起こされた亭主は、浜でもってなんで魚屋になったか思い出す。この潮の香りだ。
そんなときに財布を拾ったのは、不運以外の何物でもなかったのだった。
どんちゃん騒ぎの翌朝、亭主を起こすかみさんは、ようやく夢計画が実行できる。
きっと眠れなかったろうな。
それでも二度睡眠が入ってるので、前夜を夢にすることに成功する。
後半が長いのは、奉公人を抱えた親方としての魚勝、そして父親としての魚勝がたっぷり描かれるからだ。
掛け取りを取り損ねて落ち込む奉公人が描かれるが、気にするなと魚勝。本当に人間のスケールがでかくなっている。
芝浜を終えたさん喬師、さすがに何か語ることはなかった。
階段を気をつけて降りると、深々とお辞儀で去っていった。
すごい会でした。