絶望から始まり、読まないでいたため世間から取り残されながら始めた「あかね噺」のレビューであるが、だんだん追いついてきた。
14巻まで出ている中で、11巻。
ちなみに13巻が30%オフだったので買った。すぐには読まない。
主人公あかねの魅力が、回を追うごとに増してきたのは実によかった。
今回は特にテーマはありません。
らくご喫茶でやる前座の会は4回目にして札止め。
現実のらくごカフェで札止めなんて、喬太郎師ぐらいですよ。先月行った「三三と若手」だって、満員ではあったけど当日券あったもの。
多くの真打、二ツ目は、10人から20人ぐらいの客の前でやってます。
天才あかねがいたって、前座で満員はないなあ。もしいたらマスコミがほっとかない。
当たり前だが、前座が会をやるということは、寄席を留守にしているわけである。
寄席の人数が足りない中働いてる前座がひがんでそう。
会のメンバー、三明亭からしは学生時代からのあかねのライバルであるが、本寸法の一門に入ったんだそうで。
からしの師匠、三明亭円相は「型」の一門。これはいうまでもなく、昭和の名人、六代目三遊亭圓生がモデルである。
ということは、からしは円丈なのか。現代新作落語のパイオニア円丈は、新作がやりたくて落語界に入ったのに、あえて正統派の圓生の門を叩いたというのは有名な話。
いずれ円丈作の新作落語が、からし作として劇中に登場するのではないだろうか。
落語マンガで新作を扱うとそれはそれは大変。作らなきゃいけないから。でも既存の新作なら行けるかもな。
あかねは二ツ目昇進の朝がおに頼まれ、披露目の会の前座を務める。そして二ツ目昇進のキーになる阿良川泰全の推薦獲得に挑む。
前回も書いたが、「二ツ目に抜擢されたい」という希望にはまったく共感できないです。
今昔亭ちょう朝師匠にあかねは、「狸賽」(たぬさい)の稽古を付けてもらう。
からしは看板のピンを付けてもらうのに、残念そうなあかね。
「狸賽」(狸の賽)は極めてメジャーな演目ではあるものの、現代それほど掛かる噺ではない。私も数えるほどしか聴いてないな。
今年は雲助師で聴いた。
前座は狸札をやる。落語協会だと、賽より「狸の鯉」のほうが最近多くなっちゃった。
いっぽう、看板のピンは大人気。前座はやらないが、二ツ目になると好んでやりたがる。勢いのある若い人に向いた噺でもあろう。
オウム返しの失敗という、落語の王道である。
バクチの噺というと、だいたいこのふたつ。先日取り上げた今戸の狐なんてのもあるが。
看板のピンと狸賽の共通点は、ちょぼいち。サイコロ1個のバクチ。
サイコロの目を予想し、当たると4倍または5倍返ってくる。
設定にインチキを持ち込むのが看板のピンであり、サイコロ自体を操作するのが狸賽。
狸賽には、ギャンブラーのはかない夢が詰まっているのだ、きっと。
ちなみに稽古は基本、この演目がやりたいと言って、その演目を得意にしている師匠にお願いするわけである。
たまに、持ってもいない噺の稽古を、勘違いで頼まれることもあるそうで。
だが別の方法もあって、教えてくれる師匠が噺を指定することもある。自分の師匠ならわかるが、よその弟子に噺を指定して稽古を付けてくれるのは、私の知る限り柳亭市馬師だけである。
市馬師は、稽古に来なさいと言ってくれるが、教わるほうは何の噺を付けてもらえるのか事前にわからないらしい。
こういう例があるので、ちょう朝師匠にあかねが狸賽を指定されることも、なくはないだろう。
それに師匠は、あかねの適性をよく見ているのだ。動物の出る噺にニンがあるのだと。市馬師もきっとそうで、このあたり監修のけい木さんからストーリーに持ち込まれたのではないか。
アゲの稽古(教えてくれた師匠の前で一席やって、OKをもらう)のあかねだが、お前の実力はそんなもんじゃないだろうとお許しは出ない。
「江戸弁を使わずに狸賽をやれ」という指示は面白いが、こんなエピソードは聴いたことがないな。
ただ、変なリアリティがある指示だ。
要は、言葉にとらわれすぎちゃいけないということだろう。そして、自分でセリフを作ることで、噺が自分のものになると踏んだのだ。
古典落語で江戸弁を多用しすぎて、師匠・さん喬から批判されがちなのが柳家喬太郎師。
先日取り上げた「ちりとてちん」でもだが、喬太郎師は本当に古い江戸弁を多用する。私はかなり好きなんだけど。
さん喬師はわざとらしいと考えるのだが、でも喬太郎師のわざとらしさがとてもいいなと。
喬太郎師が古典落語でこういう作法を使うのは、新作落語あってだと思う。「喬太郎の新作に出てくるような女」という表現があるとおり、師の新作落語のキャラは、言葉遣いも含めてぶっ飛んでいる。
それでいながら古典落語のときだけ言葉を抑えると、なんだか落ち着かないのではなかろうか。
もちろん、古い言い回しを多用したりしないさん喬師のセリフも素晴らしいものだ。
続きます。どこに着地するかはわかりません。