当ブログの更新を楽しみにしてくださっている方には、あかね噺、あるいは不評かもしれない。実際出した日のアクセスは多くはない。
でも、検索で掛かるんで累計アクセスは結構行くのです。将来の落語ファンが少しは増えるかもしれない。
阿良川泰全から二ツ目の推薦を得たいあかねだが、裏では陰謀が働く。
泰全の師匠、アフロの全生の画策が続く。
全生って、実在の噺家の名前だけど。五代目三遊亭圓楽の入門時の名前が全生である。
初めて、実在する名にカブっちゃったんじゃないか。
それはそうと、あかねの師匠を訪ねるちょう朝師匠。
あかねの父の破門の謎を探りにきたのだった。「志ぐまの芸」というキーワード。
志ぐまは、あかねの師匠ではなくその先代。
ああ、物語の冒頭、破門騒動はまだ解決していないのだ。特に親父と同じ世代の噺家にとっては。
一応はあかねが、阿良川の総帥一生から聞いて納得したはずだったのだが。なんだか納得いかない変な理由。
破門理由がぶり返すこの展開、予期はしていた。別に物語の中にヒントが隠れていたわけではない。
当ブログに「あかね噺 破門 理由」の検索訪問が多かったからである。すでに解決していたら、そんな検索はないだろう。
しかし、これは100%穿った見方であるが。
ストーリー展開的に(連載も続く見込みがついたし)、物語を貫く新たな謎を盛り込む必要ができたのでしょうなあ。
一生から語られた破門の理由がまったく納得いかないものである以上、最初から新たな謎を出すつもりだったのかもしれないが。
しかしどこまで謎を拡大しても、納得いきようがないと思う。
陰謀に満ちた破門なんて、現実にはないでしょう。
最終的にはきっと、あかねの父も噺家として復活するのだろうな。
長いブランクも、噺に厚みを与える期間として描かれるに違いない。これは決して無理筋ではない。
さてアフロ師匠の指令(推薦するな)との板挟みになり、あかねの高座を欠席しようとする泰全を、元噺家仲間であるあかねの父が連れてきてくれる。
めでたしめでたし。
無事あかねの「狸賽」の出番である。
劇中でも「二ツ目の披露は増えてはきたが珍しい」ことが描かれている。
あることはあるが、マンガのように大ホールではそうそうなかろう。
これは当たり前で、「みんなの期待していたあの前座がついに二ツ目に昇進した!」なんてシーン、そもそもあり得ないからである。
私は日頃から結構前座に注目しているほうだ。つい先日も、「三笑亭夢ひろ」という芸協のデビュー間もない前座さんをずいぶん持ち上げた。
だが結局前座なんて、たまたま遭遇する存在に過ぎない。それもよくわかっている。
会の主役、今昔亭朝がおは後輩を殴って見習いからやり直しをさせられたんだそうだ。それは確かにひとつの物語にはなるが、でも客席においてはそんなストーリーじたいそもそも把握できない。
マンガのこの会に来ている客も、裏の物語は知らないはず。
結局ちょう朝と泰全という、二人の名で盛り上げている会なのである。
寄席ではご法度だが、落語会では前座も自分のマクラを振るのはギリセーフ。
この日の主役、朝がおアニさんの話題を振って、客席をあっためるあかね。
あかねの狸賽、たぬきが子供たちに捕まった際の状況が、「あんまり嬉しいんで化けるの忘れてた」になっている。
これは、決して標準的な「たぬき」の展開ではないです。
このやり方、一度だけ聴いた。落語協会の前座、三遊亭歌ん太さんがこうやっていた。前座だから狸札だけど。
「化けるの忘れてた」は普通、マクラとして本編の前に振るもの。それを本編に収めていて、ちょっと驚いた。
マンガでこう描いてるんだから、ある型なのかもしれないが、実際に聴いて結構驚いたけどね。
あかねが大胆な演出を採るのを「守」から「破」と表現している。「しゅ」「は」。
マンガ11巻はここで終わってしまうが、この続きが「離」。
「り」である。
「守破離」は落語だけでなく、あらゆる芸道で用いる。
からしの師匠(圓生がモデル)が前座の頃はきっちりやるように指導しているのも、第一段階である「守」の思想によるものだ。
それに比べると、マンガであかねが「守」に取り組んでいた描写はない気がするけど。
落語協会の2階の座敷は、土日に黒門亭をやっている。
その高座の上に「守破離」の掛け軸が飾られている。
ではまた。
(追記)
「みんなの期待していたあの前座がついに二ツ目に昇進した!」が珍しく本当にあったのは、春風亭かけ橋さんの披露目ですね。
この人はやり直し前座である。