遅れてレビューしていたあかね噺、またひとつ追いついた。今回は12巻。
前回同様、特にテーマはありません。
思いついたことを書いていく。
披露目の会は、挟み込まれたカットによるとマリオンの有楽町朝日ホールでやってるらしい。
二ツ目の披露目にしてはでかすぎるな。
調べたら三遊亭とむ(現・錦笑亭満堂)さんが2014年に二ツ目昇進披露を朝日ホールでやってますね。
でもそれだけ。満堂師はなにせ真打昇進披露を武道館でやる人だから規格外。
今昔亭ちょう朝に教わった狸賽を熱演のあかね。
ピンの目は狸のヘソらしい。
通常はケツの穴である。色が赤いのは痔。
マンガから特に説明はないが、女の子だから品よく替えたのでしょう。
最近読んだこの記事を思い出した。
笑福亭喬介 弟子の喬明に対する苦悩を吐露「怖いやん今の時代。何言われるか分かれへん」(東スポWEB)
女性の弟子を持つ喬介師、寄合酒のふんどしギュッと絞るシーンをやらせられないのだと。
たぶん、これとおんなじじゃないか。
喬介師の深い悩みは、時代的にいったいなにが正解なのかわからないことである。
でもたぶん「無理しない」というのは正解だと思う。そんなところが落語の肝ではないわけで。
三遊亭美よしさんが前座の最後の頃、狸賽を掛けていた。前座は通常狸賽はやらないが、前座の最後の頃になると二ツ目の演目を出すことはある。
美よしさんは、堂々ケツの穴でやってたし、サゲも違うバージョン(ピンの目から屁をこく)で出していた。
その前にまたぐらのふんどし汚れてるのも入れてた。
不快感は感じなかった。ご本人が古典落語はこういうものだと思ってやってるからだと思う。
ただ、こういうものと思ってやれないのなら、無理することはないのだ。
ところで私も先日、女性の前座さんが牛ほめのおじさんの際、常に眉をひそめているのが嫌だった。なら、女性がケツの穴を口に出して嫌がる人もいるだろう。
この後ノッてきてしまったあかねが、狸札や饅頭怖いやら、「落語ヴァース」「落語動物園」と称していろいろ他のネタをブッこんでくる。
楽屋は好意的だが、これは「つかみこみ」と言ってご法度である。
なぜいけないかというと、ちょっと出てきた他の噺ができなくなってしまうから。しかもネタ帳にも書かれないので、気づかず出してしまいかねない。
この披露目の会で、この後饅頭怖いが出ることはなさそうだ。それに出演者全員あかねの高座を聴いている。
でも、絶対被らないとは言えない。上方落語だったら大ネタなんだし。
マクラやクスグリも、特定の噺専用のものは使ってはいけない。
ただし寄席で、「学校寄席の校長先生小噺」がツいたのは観たことがある。
これは噺付属でないので危ない。前座に確認しておく以外にない。
真打が、シャレとしていろいろつかみこんでいることはある。シャレだからかろうじて許されるわけで。
先日さん喬師の会で、弟子のやなぎさんが芝浜のエッセンスをたっぷり入れたのっぺらぼうをやっていた。
師匠は結局芝浜を出したのだが、これはあえてやっているらしい。
遊ぶことがいけないのではない。寄席の掟にはちゃんと理由があるということだ。
まあ、前座が遊ぶな、なんていう意見もある種当然のものであります。あかねは一応、高座終えて謝っている。
残り時間が迫っているので見事に最後巻くあかね。
これは技術であって、褒められていいもの。噺が肚に入ってないとできない。
続いて阿良川泰全。阿良川四天王の怖い師匠。
この人が出した「黄金(きん)の大黒」は、「一目上がり」「寿限無」などと並び、めでたいので披露目ではよく出る噺。
逆に披露目以外では、それほどは出ない。
2月から3月頃、長屋の住民が店賃の話してたら「長屋の花見」である。春以外の時季でこのくだりが始まったら、黄金の大黒だと思っていい。
1枚しかない羽織のくだりでサゲることもあるが、時間があれば最後まで。
最後は黄金の大黒さまが歩き出す。
「緊張と緩和」を実践する泰全。
上方の大看板がかつて提唱したとシルエットが一コマ出てくるガ、これは桂枝雀である。
以前同じ登場の仕方をした三代目三遊亭金馬と同じく、禿頭。
あかねの師匠志ぐまと、落語連盟会長柏家三禄との密談。
阿良川一門は、もともと柏家から出たのだそうだ。
これは明らかに、「立川談志」が柳家、それも落語協会会長だった小さんから出たことに由来している。
ただ談志を模した阿良川一生は、柏家だった先代志ぐまの弟子なので、その点は違う。
当代志ぐまも、そして一生ももともと柏家だったようだ。つまり、先代が阿良川志ぐまを襲名したので、二ツ目昇進時に阿良川で揃えたものと思われる。
新たな謎が作られていく。あかねの父のよくわからない破門とリンクしているわけだ。
連載が当分続けられるからなんだろう。
あかねの兄弟子享二も、どうやら柏家享一だったらしい。破門による移籍でもあったものか。
それではまた。