産経らくごの配信は、毎月アーカイブが3本登場する。
確かにデキのいいものばかり。
桃月庵白酒師のアーカイブ、私が取り上げるのも早くも3本目。なんだかどれもこれも、やたらと刺激に満ちている。
2022年の、アベノマスクの頃の高座。
代書屋(あるいは代書)という噺、好きかと言うと、微妙。
当ブログでもわりと取り上げてはいる。
本家上方において、朝鮮人のくだりがラジオから流れてきたときは差別と放送コードを考えるうえでいたく感激したものだが、これはテーマがまるで別。
東京で高座に掛けられるのは、履歴書の男のくだりだけである。
古典落語になりきらない新作というイメージの噺。とはいえ、たくさんあった芸協新作のように古臭くはならない。
わりと珍しい位置付けではある。
作った人は、実際に代書屋を開業していた先代桂米團治。「儲かった日も代書屋の同じ顔」という、マクラで振られる川柳は米團治の作。
東京では「代書屋は儲かった日も同じ顔」になってしまうみたい。白酒師もそう言う。
最近聴いて面白かったのは、三遊亭萬橘師のもの。これは客が2人でやってくるという新機軸。
ただ、新たなストーリーを作り上げていたから面白かったのだともいえる。
東京でスタンダードとされているのは、柳家権太楼師のものであろう。ここから文治師などにも伝わっている。
寄席ではウケてるのだけども、私はこれが好きじゃなくて。先日も仲入りで聴いてテンション下がってしまった。
走るんじゃなくて座るのとか、天皇賞とか湯川秀樹とか。そしてトドメがセーネンガッピ。
なまじクスグリが確立しているので、繰り返し聴くともう楽しみどころがないのであった。
単に何度も聴いたせいなのか? それだけではなく、代書屋がちょっと偉ぶりすぎてるなあと。
あくまで客商売なんで偉そうにしすぎちゃいけないと、権太楼師自身は芸談を残していたはずだが。
でもなんだか、NHK新人落語大賞でもって若手に説教している権太楼師のイメージが、私には濃厚。
白酒師の代書屋は、権太楼師のアンチテーゼとしての楽しさに満ちている。たとえもともとが権太楼師から来ているのだとしても。
白酒師は、代書屋を最初から客商売にアジャストしている人として描く。偉そうではない。
客があんまりなので面倒くさい男だとはさすがに思うが、いっぽう思っちゃダメというプロ意識もあるらしい。
ただしそれゆえに、イライラを外に発散できない人なのだ。ややこしい男によって、どんどん内にストレスが向いていく。
そもそも白酒師自身がなかなかややこしい人なのだ。
マクラでは、自分自身が職業として噺家を選んでいることへの悩みまで見せてしまう。
前座のとき、お客にヨイショできないので向いてないのではと、廃業まで考えたという。
前座のくせに打ち上げで「話しかけるな」ムードを出していたのだと。少なくともお客にはそう見えた。
でも、その後も事実食えてるんだから、向いてなくはないなと振り返る。
こんなマクラを代書屋の前に付けてしまうこと自体、ややこしい。
でもそんな演者がいいと思ってくれるファンもいるのだと。
白酒師の代書屋、権太楼師のものに入っているスタンダードなクスグリを、すべて抜く。
抜いたうえで新たなギャグ入れ直して、さらに面白い。
でも、この型として人に教えたりはしなそうな気もする。演者もややこしいし作った噺もややこしいし。
履歴書の言い間違いが「歴史書」。
インテリの代書屋さんは「ヘロドトスじゃないんで」とつぶやき、ややこし男にツッコまれて後悔している。
転失気みたいな、「履歴書を家で探してもなかったから隣に借りにいった」くだり、ツッコまないで流してしまう。
これで、この噺の骨格ができる
その後も、出生地から学歴から、さほど強くはツッコまない。
この「代書屋」は、立派な漫才。言い間違え漫才。
落語ではなく、漫才を手本にしているのではないか。
ツッコミがローテンションで一定のリズムを奏でる楽しい漫才だ。
客のほうは、わりと一生懸命ボケている。白酒師ならではの、高い声で上ずりっぱなしのキャラ。
本来乗せないところに天丼を仕掛けてくるなど、独特のボケ。
ボケの拾えなさそうなところでボケてくる、白酒師の作家としての類まれなる作り込みのセンス。
漫才だと考えると、ツッコミが突出するのはよくない。実にいいコンビネーションだ。
生年月日どころか本名すら把握してない男だが、じっくり探り出していくと「小林盛夫」というのだった。
代書屋も、先代小さんだねとつぶやいている。あるいは四代目三木助。
三木助は、父である三代目が小さんと義兄弟の契りを交わしていたため、息子に小さんと同じ名を付けたというのは有名な話。
当人は「盛ちゃん」が名前だと思っている。
このくだり、粗忽の使者の留めっこからもらって来たんだろう。
男の二つ名は、「二度寝の盛夫」。
なんだかわからない面白さの秘訣が、繰り返し聴くと徐々にわかってくる。
わかればわかるだけ、作り込みのすごさも改めて身に沁みたのだった。