立川流の迷走

東京の落語界には4つの団体がある。
落語協会、落語芸術協会、円楽党、そして立川流。
前の3つの寄席や会にはたびたび出没するのだが、立川流だけはとんとご無沙汰している。
といっても、「立川流に出向く」という概念自体が、そもそも他の3団体とは異なる。
立川流の売れっ子である、志の輔、談春、志らく、それから談笑、生志などの噺家は、落語会にしか出演しない。
落語会というものは、独演会であったり、二人会、三人会であったりするが、これはどこの団体に所属しているかとはあまり関係がない。
「立川流に所属している」といっても、それはつまりどういうことなのだろうか。
家元亡き後は、ますます意味がわからなくなってくる。

立川流に出向くということは、年2回の一門の会を除けば、売れっ子でない人だけが固まって出る、上野広小路亭、日暮里、お江戸日本橋亭の寄席に行くことを指す。
落語協会や芸術協会、円楽党の売れっ子は、所属団体の寄席にちゃんと出る。
立川流は、寄席の否定から始まった団体。売れっ子が寄席に出ないのはある種当然。
寄席の否定をしている団体の、売れっ子でないメンバーが、小さな寄席に集まって出ている。実に矛盾に満ちている。

売れっ子以外は価値がないか。そんなことを言うつもりはない。
立川流以外の3団体に所属する地味な噺家の中に、私の好きな人はたくさんいる。
だから、立川流にだってそんな人はいるのである。いや、よく知らないがきっといるはずである。
だがとんとご無沙汰。たまに行こうと思いかけるのだが、結局直前で止める。
だいたいそんな寄席には、立川談四楼師がヘビロテで出ている。
立川流の重鎮扱いされているのに、売れっ子ではない変なポジションの人。言ったら二軍のトップ。

たまに談四楼師のツイッターを覗く。
私は左翼は好きでないが、左であることのみを理由に人を小馬鹿にするネトウヨなんかではない。
インテリ左翼には敬意は払うし、好きな左翼文化人もいる。
だが談四楼師がインテリであり得ないことは、繰り返し当ブログで述べているつもり。右であることのみを理由に人を罵るバカ左翼の一員。
最近のツイートを見るともう、論理もへったくれもなく、左であることイコール正義になってしまった。
山本太郎と共産党支持者だけに敬意を払われて(≒利用されて)、満足なのだろうか。そもそもこの二つ、並列するように思えないけど。

噺家たるもの、右から左まであらゆるお客に拒絶されないようにするのが普通の了見だと思っている。
私のその基準に照らすと、到底尊敬できない人だ。
もちろん政治思想は個人の自由である。
でも結果は、単に世間に喧嘩を吹っかけているだけのなにものでもないと思うが。多数派の共感をハナから拒絶して、お前らは馬鹿だと言ってるんだから。

自分では保守だと言い張りながら、左翼に魂を売ってしまった談四楼師。
そこからすると当然の帰結でもあるが、それでもこのたびのツイートには愕然とした。
横浜市の林市長が、カジノ誘致に舵を切ったことを批判しているのだが、その論法に腰を抜かした。

ええー、本当に噺家なのか? ただの共産党員の意見じゃないか。
古典落語の世界というものは、そもそも談志の好きな「業の肯定」でできているのではないか?
業の肯定というフレーズはあまり好きではないのだが、人間の世界が煩悩に満ちていて、それを描くのが落語だという点には共感している。
だからバクチの噺だって無数にある。富くじもしかり。
ギャンブルの根本、存在意義自体を切って捨てるなんて、本当に噺家なのか?

私だって現在、ギャンブルは一切しない。パチンコ屋が潰れると喜ぶ人間。
だが落語を聴く以上、バクチをしたい人間の本性に対してまで憎しみを持ったりしない。
バクチをしたがることまで不幸だと言ってしまうと、落語の世界が成り立たないではないか。
吉原だって酒だって同じ。

談四楼師、このたび珍しくNHK日本の話芸に出演し、「柳田格之進」を掛けていた。
決して悪い高座とは思わなかった。だが、これだけ多くのマイナスを抱えた中で、あえて聴きにいきたくなるほど見事な芸でもない。
そもそも、ギャンブルを阻害する左翼思想と、この古い価値観に基づく古典落語と、この人の中でどうマッチしているのだろうかと思う。

さて、もうひとり痛い立川流。
やはり売れっ子とはいえない。立川雲水師。
ツイッターにクスリともできないネタをしばらく垂れ流していたが、ついに、雲水師のフォロー数45倍のジャーナリストに「面白くありません」とぶった斬られていた。
「面白くありません」と言いっぱなしの切り口自体どうかとは思うが、実際まったく面白くないのだから仕方ない。
多くの右の連中が、ネタ巧拙よりもメッセージの内容そのものに反応しているのも事実だろう。
だが、そんな人たちをクスッとさせられないネタに、価値などなかろう。

この師匠は、つまらない投稿を垂れ流していることを知らなかった3月に初めて聴き、その高座を褒めてしまった
褒めたこと自体間違いだったとまでは言わないが、あのときのちょっとした感動、返して欲しい。
その褒めた記事にもすでに書いていたが、人間性にはかなり疑問符の付く人ではある。
談四楼師とやや違うのは、右寄りのあらゆる権威をことごとく貶めていながら、左については褒めることはせずスルーすること。
これにより、「偉そう」「何様」という印象だけが、つまらないツイートにさらに乗っかってしまう。やりかたが稚拙だな。
左も併せて貶めたらバランスが取れて、ひとつの芸になるかもしれないが・・・斬り口を磨かない限り、ダメか。

こんな特殊な人たちが悪目立ちする、立川流の寄席に出向きたいとはますます思わなくなった。
私は、立川流に所属していることをもって噺家を嫌いたいわけではないのだ。落語界、確実に一本化に向かって舵が切られていることだし。
実際、立川吉笑、笑二の兄弟弟子二ツ目については、落語界全体の中で突出している素晴らしい才能に、深い敬意を払っている。今後も積極的に聴きにいきたい。
彼らは二ツ目なので幸いだ。神田連雀亭で聴ける。
他に才能ある人は、果たしているのでしょうか? いたとしてその存在を知ることを、痛い先輩が妨害している。

 

作成者: でっち定吉

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