ひどい新作落語のダメージを解剖する(上)

おかげさまで、神田連雀亭ワンコイン寄席に同じ週に2度出かけ、どちらの日も大いに満足して帰ってきた。
だがいっぽうで、ひどい高座に出くわすこともなくはない。連雀亭でも、よそでも。
ひどい高座に出くわしたとき、その後しばらく立ち直れないことがある。
正確にいえば、その高座自体の出来の問題というより、その高座をもたらした演者自身に対するショックの大きさ。
高座自体はウケるときも外れもあるが、演者の性質は不変。ああ、こんな噺家なんだというショック。
その日たまたま外れたというのではなくて、演者の本性が見え隠れするととても凹む。

私はナイーブすぎるのであろうか?
悪い高座など、とっととリセットして、後に残さないのがいちばんだ。ブログのネタにするにしても、可能な限り面白おかしく。
落語なんて趣味に過ぎない。趣味に身心まで乗っ取られたりしないほうがいいのではないか。

だがひどい高座ですぐ忘れられるのは、前座だけ。料金の外、前座がヘタなのは別にいい。
大失敗の前座も、いつまでもそのままということはないだろう。
だがこの世には、年功序列で生まれたひどい真打も大勢いる。落語界、途中で辞めなければ誰でも真打になれるのだから。
そんな真打に出くわす恐怖もなくはない。
落語を始めて半年の前座は、4年やれば立派なものになっている可能性がある。だが、芸歴20年の真打が、もう4年やって変わることはそうそうない。
幸い、ひどい真打は席亭に呼んでもらえないから寄席の出番は少ない。もっぱら池袋演芸場に通っていれば、それほど出くわす危険はない。
だが、落語協会の直営寄席、黒門亭は顔付けを会員自身がおこなっている。
このこと自体になんら文句はない。協会は互助組織だもの。

そんな黒門亭では、ひどい真打に出くわす危険がそこそこある。
「めったにお見かけしない師匠だが高座は見事」ということもあるから、売れていないことイコール悪だとは思っていないけれど。
悪い高座に当たると、別の師匠の感動の高座が潰れてしまうことだってある。
先日の黒門亭、目当てで行った、トリの柳亭小燕枝師の高座は極上のものだった。
しかし、その直前のよくない高座が、いまだに私を苦しめる。小燕枝師のことを考えたいのに、悪い高座のことが頭を占める。
こうやって、人はお気に入りの噺家だけを聴ける、落語会中心のファンになっていくのかもしれない。
多少の好き嫌いはあっても、ひどい人はそうそう出ない。

ところで私は、ひどい高座に当てられたとき、ひどさを感じた理由をできるだけ論理的に当ブログに書き記すことで、ようやく救われるということを何度か経験している。
今回もそれをする。否定して全然構わない高座なのだと納得できれば、まだ安心できる。
噺家の名前は出さないが。

ちなみに、過去にそうやって批判した高座。

あれ、半分は名前出してる。
昇吉さんは、落語大会不正疑惑からの流れがあり、実力を確かめに聴きにいったというところもあったので、やむを得ないのだ。
この人のマクラはかなりひどかったが、本編は見事なものだった。そのことは付け加えておく。
柳家小三太師は、一部には有名な「柳家の最終兵器」。この人はまあ、別格なのでいいでしょう。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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