ひどい新作落語のダメージを解剖する(中)

連雀亭二ツ目地獄の人は、一度の経験で懲りて避けている。
だが、そこそこ活躍している様子でもある。二ツ目である以上、いずれ私もまた対峙することになるだろう。
あれほどひどい高座を聴くことはもう、ないとは思うのだが。

寄席地獄絵図は、本当に最悪。なんだったんだろう、あれ。
そして今回の新作女流落語家は、ここまでは行かないにしても、似たようなもの。
この人は、一之輔・文菊・志ん陽の抜擢で、真打昇進を2年ほど待たされた。
通常の真打昇進も年功序列でおこなわれるのだから、緊急車両が通り過ぎていく際に渋滞が生じたのは仕方ない。
だが、待たされて当然だったのではないか。改めてそう思う。
真打になるまでは、珍しい女流新作派としてそこそこ話題は集めていた。
が、現在はそうそう寄席の出番はない。

今回の黒門亭で、柳亭小燕枝師と同じ席に顔付けされていて、正直嫌な感じは事前にしていた。
真打昇進前から、まれに聴くこの人の高座において、もぞもぞと尻が座らない、居心地悪い思いをするのはなぜだろうといつも感じていた。
改めて分析すると、こんなところだ。

  • 演技が過剰で不自然
  • ストーリー展開に無理がある
  • (話芸全般としてみて)あり得ないレベルの高い声

演技過剰なのは、「落語」をきちんと修業してこなかったからなのだろう。きっと。
最近つくづく思うようになった。新作で売れている噺家の背景には、必ず古典落語の香りが漂っている。
落語を知らずに入門してきた三遊亭白鳥師ですらそうなのだ。
白鳥師、古典をちゃんとやったということはないにしても、周囲からウケる要素をしっかり学んでいる、その中に古典の核心も含まれている。
もっとストレートに古典をやってきた人たちはもう、スムーズに新作落語に古典の要素が溶け込んでいる。
古今亭今輔、古今亭駒治といった、新作専門の人でもやっぱりそうだ。
古典を踏まえることで、新作落語というものは特別なものではなく、「落語」の世界でシームレス、地続きのものとなる。
これはもう、常々書いていること。

ストーリー展開も、古典落語が体に染みついている人ならば、自然と落語らしい話になる。
無理にストーリーを捻る必要はない。あるシーンのスケッチが優れていれば、立派な落語になる。
新作にあこがれて落語界に入ってきた人にとっても、成功に至るための手順というものがある。しなかった人は手遅れ。
新作を作り続けてきても、古典の核心を内面化できてない人の落語はコント。
コントとして至上のものなら別にいいのだが、もちろんそんなことはない。

この人の場合、「キンキン声」もファンからは評判悪かった。
キンキン声のおかげで、ストーリーが頭に入らないと。
確かに、女流でも人気のある人はみな落ち着いた声を作るのに成功している。
必要以上に高い声が、仕方ないものなのか、修業の不足によるものなのかまでは私にはわからない。
もっとも今回に関しては、キンキン声は私はさほど気にならなかった。
自分でも意外に思ったぐらいで、これについては非難しない。

今回聴いた一席は、「ちりとてちん」のストーリーを借りて、現代に置き換えた落語。
だが借りてきたのは「腐った豆腐を嫌な奴に食わせる」という部分だけ。
古典落語の肝は借りてこない。気持ちいい部分は借りてこれないのだろう。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. このブログ記事とTwitterでこの真打ちが誰だかわかりました。なるほど、以前内幸町ホールでやっていたWOMANズ落語会に顔付けされていなかったわけがわかりました。一度、国立演芸場定席で見ましたが、寄席ではみたくないと思いました。ちりとてちんにしても、おきよから見た改作をやればいいのにと思った次第です。

  2. ばたばたさん、コメントありがとうございます。
    本当は批判記事を書くにしても9月にして、せめて黒門亭の顔付けも消えてからにしようと思ったのですが・・・
    今回は私の心身の健康を優先させていただきました。

    この人は、なまじ注目を浴びた時期があったのがマイナスだったように思います。
    現在の若手女流は、上手くて楽しい人が多くなりましたが。

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