東京の落語会には4つの団体が存在する。
このうち、円楽党と立川流は、落語協会から分裂してできた組織である。
分裂した当時のゴタゴタ、恨みつらみを忘れていない噺家はたくさんいるのだが、それでももう、40年近く経過している。
先代圓楽も、談志も亡くなった今、団体再統一の動きは間違いなく活発である。
もっとも、落語協会に戻るという統一の仕方ではなくて、もう1本の柱である落語芸術協会のほうに収斂していく形。
芸術協会の昇太新会長の思いにも近いようである。
新宿末広亭の席亭もこう考えているようだ。
そうだとして、別に落語協会と芸術協会は対立していないので、そのことが新たな騒動を呼ぶわけではない。
落語協会のほうには、団体統一に向けた動きは一切ない。
現・柳亭市馬会長は立川流とも近い人だが、副会長の林家正蔵師は、先日の「林家九蔵襲名」を阻止した張本人。
理由付けは「三遊亭好楽師が協会を出ていった人だから」ということで、これはいただけない。
「こぶ平の分際で」とファンにしばしば批判される正蔵師、落語に注力していることはよく知っている。だが、政治的には、この人だけは会長になって欲しくはない。
さて、円楽党は10年ほど前から、落語芸術協会への一本化を望んでいる。
「笑点なつかし版」など視ていると、当代円楽師が、ギャグとしてではあるが故・歌丸会長に対して何度も合流を頼んでいる姿が繰り返し放送されている。
世論の指示を得ようとしていたのだろう。
歌丸会長はこれに賛同していたのだが、芸協の理事会は円楽党の合流に反対した。
いきなり大所帯がやってくるとなると、協会員の生活が心配だったわけである。
その後は結局、当代円楽師だけが芸協客員になった。
円楽師に関しては、芸協で受け入れられているようだ。「浅草お茶の間寄席」を聴いていると、よくマクラで円楽師が登場する。
一本化はまだ成功していないが、それでも芸協の寄席である新宿・浅草には、協会員以外の枠がある。
主任の師匠が呼んできていいらしい。
これにより、円楽党の噺家は、すでに相当数寄席に出ることに成功している。これも円楽師の力といえるかもしれない。
立川流も呼ばれているが、円楽党に比べると少ない。呼ぶほうの都合なのか、呼ばれるほうが拒否しているのかは知らない。
他団体も併せて顔付けされる、円楽党の両国寄席に出る立川流の噺家が少ないところを見ると、呼ばれる側の問題もありそうに思える。
団体統一の動きはいろいろなところに現れている。
たとえば、芸術協会は入門できる年齢を35歳までとしたところであるが、これは落語協会がすでに30歳までとしていたのに追随したのである。
5歳分緩和されているのは、芸協には、落語協会で修業したのちに入り直した人が数人いるからかもしれない。
団体統合において最大の問題が、真打昇進基準。
これについては、団体分裂の最大の原因であるため、難しい。
立川流は、独自路線でやっている。実力のない、十把一絡げ真打は認めないという談志家元の方針から。
だがひとりに委ねていた以上、晩年になっておかしくなった談志の判断で、わけのわからない真打も出るようになった。
それなら、年功序列真打のほうがましな判断かもしれない。
最近の立川流真打には、やたらと「談志が認めた」という枕詞が付いている。他にも認められて欲しいものだ。
談志を喪った立川流は、ワンマン体制から集団指導性に移行したことによる矛盾が解消できなくなっている。志らく弟子降格事件はこの象徴。
この点、円楽党のほうが、現在もう少しまともな運営をしている。
まともになるということは、事実上、落語協会や芸術協会の基準に揃えていくということ。
先代圓楽がボスだった頃の円楽党は、最速で真打になれてしまう団体だった。
もともと圓生が粗製乱造真打に反対してできた団体だったのに、不可解である。
そんな矛盾に満ちていた円楽党、ここに来て真打昇進スピードが落ちてきた。