丁寧な遊馬師の噺、現実時間では長めである。しかし、ギャグは意外と刈り込んでいる。
刈り込んでいるのか、古い時代の演出を活かしているのか。
いずれにせよ、「あ、熊オレだ」みたいな、先代小さんの入れていたクスグリはないのである。股ぐらくぐった際に、人の膏薬も持っていかない。
その分、噺の中における場面展開は、意外とスピーディであったりもする。
そういえばマクラでもって、「頼朝公の幼少時のしゃれこうべ」御開帳のネタが入っていた。
この段階では、まだ粗忽噺だと決まっていなかったようなのだが、このネタと本編、ちゃんとつながっていたみたいだ。
つまり、観音様の境内に自分の死体を置いてきてしまう熊さんと、幼少時のしゃれこうべがある頼朝というネタがシンクロしている。
ちなみに、頼朝公は頭が大きいので有名な人だが、師匠・小遊三も頭が大きいのだとネタにしていた。
それから、流行りの面白古典落語とまったく違うのは、笑いの量はツッコミの際のほうが多い。
面白古典落語は、だいたいまず客の予想を裏切るボケでもってびっくりさせるのである。
だが遊馬師の噺に出てくる粗忽者たちは、別に客のウケを狙ってボケをかましているわけではない。大真面目に、弟分が死んじゃったから引き取りにいかなきゃと真剣に考えて行動しているだけなのだ。
そのおかしさに対し、常識人がまともなツッコミを絶妙なタイミングで入れると、不思議なぐらいウケが来る。
古典落語になんとか工夫をしてウケを取ろうと努力して果たせない二ツ目さんが、この高座を聴いたら絶望しかねないなと思う。
ええ? なんでこんなギャグ控えめで端正なのに、こんなに面白いの? という。それが落語なのだ。
しょっぱなから楽しい一席。
堀の内
続けて遊馬師、粗忽長屋の八っつぁんが結婚した後日譚として設定した堀の内へ。
「足が短くなっちゃった」から、湯屋の羽目板までたっぷりの堀の内。
道を間違えて、浅草の前に両国にも行く八っつぁん。
八っつぁんが金坊を連れて湯屋に行き、途中で間違えて全裸になる場所は交番。
この噺は、師匠・小遊三譲りだろうか? でも師匠と雰囲気は相当違う。
小遊三師だと、八っつぁんがふざけた雰囲気を終始醸し出すので、ギャラリーに向かってウケを狙っているような気配が漂うと思うのだ。
これに対し遊馬師の八っつぁんは、どこまで行ってもマジだ。マジなのが、外から見たときにとても面白い。
そしてボケっぱなしではなくて、失敗するたびに自分の粗忽さに対する手短な振り返りがある。
そうだ。八っつぁんは、この日一日、粗忽をなんとかしたいと、湯屋の場面になってもまだ思い続けているのだ。
やはりどこまでもマジで、本当はマメな八っつぁん。そしてそれを描く丁寧な遊馬師の仕事。
この噺もまた、クスグリがあっさりしている。
早めに雨戸を閉めて寝る場面、財布を投げてしまってからの場面が短い。
道を聴くシーンも短め。
だが、たっぷり感が漂う一席。
粗忽の使者
仲入り後は、「粗忽な人は町人だけじゃありません。武士にもいます」と言って粗忽の使者へ。
粗忽な武士というと、松曳きか、これ。
前の2席と同様、やはりクスグリは刈り込んでいる。
馬の首を切ってつなげ直せというくだりがない。
場面描写が丁寧なので、少なめのギャグが非常にほどがいい。
丁寧なのにギャグがさらに多いと、あるいは胃もたれするかもしれない。
落語の場合、噺自体が面白おかしくできているのであり、クスグリを無尽蔵に入れりゃいいってものではない。