粗忽の侍、治部衛門と三太夫のやり取り、いったん全部リアルタイムで出しておいて、再度大工の留っこの口から改めて再現させるというやり方、初めて聴いた。
最近は繰り返しを嫌って、留っこの説明だけにするというのがほとんどだろう。
だが、繰り返しで同じシーンを二度聴かせられるのに、しつこくなどなく、ちゃんと面白いのだ。
すでに一度見た現実が、違った角度から再生されることの楽しさだ。たとえば治部衛門だが、三太夫が出ていったあと、仕舞えばいいのに尻を出したままでいるのだ。
こういう部分があるので、実際には本当にあっさりした展開ではない。
尻のことは、お武家なので「居敷」という。留っこが庶民のレベルで解説するまで、それを「尻」とは一切言わない。
ときとして、わかりやすさを犠牲にしても雰囲気を大事にする。でも、子供だってちゃんと笑うのだ。
治部衛門が「拙者生来の粗忽ゆえ」と語ると三太夫は、「噂には聞いており申す」。
こんなオリジナルギャグもさりげなく入る。
3席、たっぷりの1時間半。お腹いっぱいです。
落語に浸りきれて、とても幸せ。
この後サービスでもう1席やってくれるといっても、もういらないぐらいの大満足。
もっとも、本来の遊馬師、そんなに疲れる芸ではない。
その面白さがどこに起因するのか迫り過ぎて、私が勝手に疲れてしまうだけ。
本来は、ボーッと聴けばそれでいいのだ。
家族も大満足。
うちの子だって高いレベルの落語をずいぶん聴いている。遊馬師のすごさ、ちゃんと理解している。
寿司屋は開店までに準備が少々あるとのこと。ちょっとだけ表で待っていてくださいということで、表に出てお客を見送る遊馬師と話をする。
だが、感動に満ちているのにご本人を目の前にするとただ「面白かったです。ありがとうございます」しか言うことがない。
「師匠の噺はツッコミの際のほうが笑いが多くて素晴らしいですね」なんて会話を、したり顔でするのも無粋。
「毎日仕事のある二ツ目って、成金メンバーのことですか?」なんてマクラのギャグについて、裏話を訊ねても仕方ないし。
本当に好きな噺家さんとは、機会があったとしても直接落語の話はできない。しないほうがいいと思う。
だからこうやって、ここで好き勝手なことを書かせていただいているのである。
演者からしたら、「そんなこと考えてやってないよ」という部分もあると思う。でも、ファンが勝手に認識した部分はまるっきり誤解の産物なのかというと、そんなこともないだろう。
この待ち時間にちょっとだけ散歩をすると、北谷端公園という遊具の多い公園に、子供が佃煮にするほど集まっていた。
明日から学校だというのに、よくもこれだけ集まるものだ。子供たち、宿題はできたのかな。
なんだか感心。私の住む地域には、こんな光景はない。
みやこ鮨さんの座敷で、早めにお寿司をいただく。
大変丁寧な仕事の、江戸前のいいお寿司でした。
着替えた遊馬師は隣の座敷で、後援会の人たちと宴会。我が家にも気を遣って乾杯に来てくださる。
遊馬師はアルコール依存症を克服中と聞いていたが、ビールジョッキを持っている。
師匠は召し上がるんですかと訊いたら、ノンアルコールビールだって。
楽しい会で、落語も寿司も大満足。
毎月やっているこの会、次回は年末に来ようかと思っている。年末は、時季を限る噺が多いので期待大です。