赤ん坊だった信之助が幼稚園児になっている。幼稚園の帰りに、助六が出ていて、小夏が下座を務める「雨竹亭」に寄る信之助。
助六は売れっ子になっていて、元ヤクザの話題はどこかに行ってしまったらしい。
しかし、師匠に覚えるよう命じられた「居残り」はまだ上がらないらしい。
時そば
出囃子「かんかんのう」で登場の助六。「雨竹亭」は大入り満員。平日昼間なのにね。
「かんかんのう」を出囃子にしているのは、現実世界では柳家喬志郎師。落語協会以外で使っている師匠がいるかもしれませんが。
「らくだ」で有名な「かんかんのう」、なぜ新作派の喬志郎師が使っているのか謎だ。
ベテランファンと、信之助をだっこしてやる樋口先生が、ここにきて一気に伸びてきた助六を褒めている。
褒めるのはいいが、寄席でおしゃべりしてはいけません。
「時そば」は第一シーズン第二話で出ている。先代助六が初高座で掛けていた。
冬の噺なんですけどね。信之助の制服をみると物語の舞台は真夏ではないが夏らしい。先代も夏に掛けていた。
やはり冬のほうがいい。ちなみにこの冬は、TVでずいぶんと「時そば」が掛かりました。
寿限無
その信之助、寿限無を唱えながら寄席に向かっている。
なんでも、助六がTVで子供たちに教えて、幼稚園でブームになっているらしい。
楽屋で、勝手に覚えた「寿限無」を喋り、師匠がたに褒められる信之助。ただ、八雲師匠には叱られる。だが、実は愛情たっぷりに礼儀を仕込んでいる。
寿限無の名前には、細かい違いのあるバージョンが多数あるのだが、信之助が唱えているのは、現実世界でNHKが広めたバージョンだ。
他のバージョンでは、「やぶらこうじのやぶこうじ」だったり、「雲行末」だったりする。
明烏
孫に「今日は寿限無をやって」とせがまれておいて、快諾する八雲師匠。客席から信之助が、「八代目!」。
しかし平気で裏切って、「弁慶と小町は馬鹿だなあ嚊ア」と明烏に入る師匠。
「子供がいるのに廓噺なんて」と憤る小夏。でも、第二回では、助六が子供がいるのに「錦の袈裟」を掛けていた。
本編には入っていないので、本当に「明烏」に入ったのかどうかわからない。弁慶のマクラから「明烏」に入る、と決まったものでもないし。だが小夏が「明烏」だというのだからそうなんでしょう。
八雲師匠、「明烏」は、菊比古時代に七代目から教わっているシーンがある。その後は出てこなかったが、さすが廓噺で鳴らしただけあって得意な演目らしい。
寄席がハネてから新作落語について、樋口先生が八雲師匠に熱く語っている。しかし、師匠はけんもほろろ。
どうでもいいが師匠、樋口先生に「あなたには違和感を感じる」と言っている。「違和感」を感じてはいけない。
日本語を商売道具にしている師匠なんだから、きちんとしゃべらないと。
「違和感を覚える」でしょう。
樋口先生の「新作落語を後世に残さなければ」という熱い気持ちは尊重する。ただ、その「新作落語」というもの、多義性に満ちていて、先生の書いた新作落語がどんなものなのか、物語の中でいまだに不明。
山田洋次監督が先代小さんに書いた「真っ二つ」「頓馬の使者」も、桂米丸師の落語も、三遊亭円丈師の落語も、立川志の輔師の落語もみな「新作落語」というのだ。中身はまったく違う。
八雲師匠の頭の中にある「新作落語」と、先生の思う「新作落語」、絶対にずれていると思う。
ちなみに、先生にケチをつけるわけではないが、「落語教育委員会」の本の中で柳家喬太郎師が力説している。「新作落語は、後世に残ったら偉いというものではない。残すのは目的ではなくて結果」。
再び寿限無
幼稚園に呼ばれ、子供たちを沸かせておいてから、小夏に寿限無を喋らせる助六。
寄席が好きで仕方なく、下座を務めるようになった小夏が、本当は落語をやりたがっていると見抜いてのこと。
この小夏の「寿限無」、前半は立川こはるさんが吹き替えているようだ。エンディングロールのクレジットに名前はないのだけど。
こはるさんは、第一シーズンで、子供のころの先代助六、新さんの声をあて、「野ざらし」も披露していたから縁はおおあり。
ちなみに「寿限無」、このように幼稚園であったり学校寄席であったり、掛ける機会は多数あるのだろうけど、寄席で聴くことはほとんどない。私も寄席で聴いたことがない。
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第四話、もう一回回見て、昨日書かなかったネタを少々追加します。
相変わらず、細かいところがよくできている。
急に化けた助六だが、第三話で組の親分に「大工調べ」の啖呵を切って認められ、それを聴いていた樋口先生に、「自分の落語を見つけたね」と言われている。
それから化けたらしい。
ただ、まだ「居残り」が上がっていない。つまり、我欲のなさすぎる助六が、「居残り」の演じ分けでもう少し我欲を出さなければならないのだ。
ただ、血のつながっていない信之助を「自分の子だ」というのは我欲だろう。これが噺に出てくればさらにいいらしい。
幼稚園帰りに寄席に来た信之助、売店でどら焼きをつかみ、「父ちゃんのワリから引いといて」と言っている。
ワリは寄席の出演料のこと。現金払い。
信之助は、不思議と華のある子なのだそうだ。噺家としての将来を予見させる。
助六の「時そば」を聴きながら樋口先生、隣の親父と「与太さんいよいよ化けましたね」。
「化ける」は、芸人さんが急激に伸びたときに使う用語である。
数多くの芸人を見てきたベテランの噺家さんも、どの噺家がいつ化けるか、なかなかわからないそうである。
車の中で樋口先生、八雲師匠の落語を指して、「自分で刈り込んだ後は、一語一句もらさず正確に古典を演じる」と評している。
これは明らかに、現実世界の先代桂文楽を意識したセリフ。
直前に八雲師匠、「明烏」を掛けているが、これは文楽の十八番として有名だった。
八雲師匠、「戦後は新作落語を掛けようなんて気概のある人はいなかった」と言っているが、これは現実世界の史実とは異なるように思う。
この物語にも出てきた「はなし塚」に封印された禁演落語が掛けられるようになり、それで古典が一気に躍進したということはあったろうが。
戦意高揚のために作られた新作もあったので、戦後すぐは、確かに嫌われても不思議はなかったかもしれない。
幼稚園に向かうバスの中で、助六が小夏に、「俗曲とかで高座に出て見たら」と勧めている。
落語以外に寄席を彩る色物さんに「俗曲」というジャンルがある。出囃子やはめものを担当する下座さんは裏方だが、俗曲は高座に出る芸人さんである。
トリの師匠のヒザ前あたりに出て、聴き手の疲れをほぐしてくれる、とてもありがたい存在である。
落語協会だと、「柳家小菊」。芸術協会だと「桧山うめ吉」などのお姉さんがたが高座を務めている。
ややジャンル違いだが、「三遊亭小円歌」「林家あずみ」などのお姉さんがたの三味線漫談もある。特に小円歌姉さんは俗曲に近い。
幼少のころから落語と寄席に馴染んでいる姉さんなら、できそうな気もする。
最近では、下座のまま有名人になった「恩田えり」さんなどもいますが。
男が作り上げた落語の環を壊したくないと、落語はやらないと語る小夏。
ちなみに、物語の中で女流噺家はいないのだろうか。これは少々不自然な気がする。
女流噺家の立川こはるさんが、落語部分(前半)を吹き替えているだけに、さらに不自然。