亀戸梅屋敷寄席13(中・三遊亭らっ好「道灌」)

らくだ/道灌

亀戸梅屋敷寄席、冒頭から。
前座はテケツにいた楽べえさん。先週と一緒。
亀戸は前座も顔付けされているから、最初から知って来ているのだけど。
非常に前座らしい朴訥な語りにもかかわらず、口調と間ができあがりつつあって結構上手い人。
この日は「桃太郎」。本人の工夫なのか、あまり聴かないクスグリが結構入っている。といって、ウケたがって渾身の力を込めてボケたりすることはなくて、非常に聴きやすい。
「ウケたい」という気持ちをこらえるのも前座の修業だと思う。そうした人だけが、次の段階に進む資格を持っている。
桃太郎、よく聴く割にはなんだかなと思う程度の噺なのだが、楽べえさんのものはかなり面白かった。
二ツ目になったら、日本一面白い桃太郎ができあがりそうだ。

続いて三遊亭らっ好さん。円楽党に限定しなくても、私の一押しの二ツ目さん。
そのうち、笑点特大号若手大喜利の座布団運びに出てくると思う。
黒紋付で登場し、二ツ目に昇進するとこうやって羽織が着られます。まあ、ポリエステルなんですけどと。
その羽織は早めに脱ぐ。
おかげさまで亀戸もお客さんが増えました。平日なのに、と客を見回して、どういうことでしょうか。

昨年亀戸で聴いたらっ好さんの「子ほめ」に私はいたく感動したのだが、今回も似た噺の「道灌」。
これまたすばらしい一席。
いつも聴いてる前座噺、道灌ではあるが、他の噺だったらよかったのになんて全く思わない。それはすごいことだと思う。
らっ好さんは、寄席で二ツ目が掛けるべき噺をよくわきまえている。
よそで聴いた、この人が主役の席では「明烏」とか「小間物屋政談」なんて見事な大作を聴いた。だが、ここは寄席の二ツ目枠。
子ほめも道灌も、先人の作り上げてきたテキストからブレない。なのにこの人ならではの世界がそこにある。
語りとして、音楽として気持ちがいいらっ好さん。
そして年寄りと若者がコミュニケーションを図る無駄話から溢れる楽しさ。これが落語の神髄だ。
大げさか? いや本当にそう思ったのです。

八っつぁんは隠居の使う、「狩倉」とか難しい言葉がわからないのでいちいち訊くわけだが、この隠居、どうやらそのやりとりを面白がってわざと難しく言っている気配もちょっとある。
八っつぁんが質問したり、ボケたりするのを隠居も楽しんでいるのだろう。
そんな、語らないコミュニケーションすらうかがえる。
提灯借りにくる奴も極めて軽い。

仲入り前は三遊亭好の助師だが、文字配分の関係で明日に回し、先にクイツキの三遊亭楽之介師を。
円楽党の副会長。会長は好楽師である。
落語には面白いのと面白くないのとがある。噺家にも上手いのと下手なのがいる。
面白い落語を上手い噺家がやると最高だが、面白くない落語を下手な噺家がやるとこれは辛い。
まあ、そういう一席なんですと自虐から。
別に笑うところはありませんが、カルチャーセンターだと思ってお付き合いくださいとのこと。

「初代林屋正蔵の噺をします」。
自分で作った噺だが、原案があり、ほぼそちらからもらったものということである。
初代正蔵の作った噺ではなくて、正蔵が主人公の地噺である。
林家正雀師の「旅の里扶持」なんて噺を聴いたことがあるが、あの噺の主人公は三代目正蔵。時代をもっと遡る。

確かに笑うところのない噺だった。
分類すると人情噺ということになろうが、でも、ムードも語りも、もっと淡々としている。
本当にカルチャーセンターみたいなのだが、そう思って聴くと面白い、不思議な噺。
初代林屋正蔵は、江戸の職業落語家の始祖、三笑亭可楽の弟子である。
三笑亭可楽は、小さい人だった。「山椒は小粒でもヒリリと辛い」をもじった名である。
職人上がりで、客の感性にとてもあった噺をする人だったらしい。
可楽は滑稽噺だが、弟子の正蔵は人情噺を掛ける。ただしあまり人気がない。

悩みぬいて、老境の劇作家鶴屋南北に相談する正蔵。私はもうやめちまおうかと思ってるんですと。
南北応えて、お前さんいくつになりなさった。あたしが納得のいくものを書けるようになったのは50を過ぎてからだよと。
お前さん、まだやり切っていないんじゃないかいと優しく諭す。
反省して一層精進する正蔵。

こんな話も掛かる亀戸は面白い。時間の関係で両国ではやりにくいだろう。

続きます。

作成者: でっち定吉

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