落語と「表現の弾圧」(中)

表現の自由を、自分の好き嫌いで論評できるし、する資格があると思っている傲慢な立川志らく。
この人に与する気はない。
だからといって、落語を反権力、反権威のために存在すべきものだと勝手に定義づけたうえで、「噺家の癖に表現の自由を弾圧する側に回るのか」と志らくに言うとしたら、それはちょっと違うだろう。
ラサール石井は今回、この前提を述べてはいない。表現の弾圧の可能性の問題としては、まったく正しいことを言っている。
だが落語に変な期待をする人は、恐らく多い。そして、こういう人は、きっと落語聴いてない。
笑点でかつての歌丸師、今は円楽師が政府批判をしているのを、単純に噺家の義務だと思うような人。

戦時中に多くの落語が埋められた「はなし塚」。禁演落語の誕生である。
過去に実際におこなわれた、表現の自由に対する弾圧。
後世からはもちろん、表現の自由に対する不当な規制だと解される。笑うこともできない、暗い時代の象徴だと。
だが、リアルタイムな現実として当時を眺めたときはどうだったのか。当時本当にこれが「不当」だと考えられていたのだろうか?
廓噺が売り物の噺家には打撃だったろう。
そういう個人的な損害ではなくて、はなし塚を生み出した時代の空気と、落語界の空気のこと。

戦争に向かっていく環境において、そもそも廓噺を聴きたがっている人がそんなにいたのか、私は非常に疑問に思っている。
戦時中を生き抜いた人の人生観を否定し、後付けで論評することは誰にもできる。官憲を悪者にしておけばいい。
だが、誰も当時の人のリアルな思いに本当に迫ってはくれない。
フィクションでもって、過去の否定を合法化したいのが現代人、というか人間の常。
左翼は戦前のすべてを否定したいし、右翼は戦後左翼教育を否定したい。
当時の寄席において、廓噺よりむしろ戦意高揚新作落語のほうを聴きたい人が多かったというのが、リアルな事実でなかったかと私は想像している。
そして、そこに見られるのはかなり現実的な立ち回り。権力と対立する姿勢ではなく。

はなし塚が意味するものは、当時の落語界が「我々は時代に合わせて生きていく」と宣言したということだと思う。
もちろん、権力の介入なしにそうしたなどとは言わない。
だが、結果なされたことは究極の忖度ではあった。
はなし塚がなくても、演目の自粛はおこなわれたろう。
噺家は、権力と闘う気概は持っていなかったのか? 残念ながら、たぶんそうだ。
私はそのことを、後世から一方的に断罪などしたくない。
落語というものがそもそも、反骨の芸能だなどと信じていないからである。
戦争が近づいていくに連れ、時局に合わない演目を掛けたとしても、やがてウケなくなっていったに違いない。
客がなにを求めているか、それに合わせるのが今も昔も噺家の宿命。そういう芸能。
演者だけ突っ張って、客はちゃんとついてくると思うのは、後世の決めつけ。

最近、若手の漫才師が続けて黒人差別ネタを披露したという。
これを、「差別はいけない」という価値観で断罪するのは簡単。
でも、そうじゃないと思う。
黒人をネタにして、客が心底笑ったか? そこだ。
現実社会において、皆がみな、差別に対しセンセーショナルになっているとき、その空気を意図的に無視して投げつけられたギャグに、多くの客は引く。
「差別はいけないが、表現の自由も大事、だからふたつの理念は抵触する」と考え、ふたつの価値観に優劣を付けて、差別はダメという結論を出すのが現代社会。
だが、本当はそれ以前の問題なのである。ギャグとして滑ってしまえば、仕事になっていない。
黒人を差別するとギャグになると思っている、そのセンスのなさこそ芸人として断罪されるべきであった。
どんなに過激なことをウリにしていても、最終的には客の気持ちとマッチしなければウケることはない。
古典芸能に分類される落語なら、なおさらだ。

はなし塚が未来に復活することは多分ない。だが、究極の忖度というものは、これからも恐らくあり続ける。
この場合、権力を握っているのは政治ではない。大衆である。
大衆から嫌われた演目は掛けられない。それを圧力と解することは誰もしなさそうだが、それも圧力の一種。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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