国立演芸場7 その4(五街道雲助「幾代餅」)

トリは五街道雲助師匠。
雲助師が大好きだという人は多いだろう。私も大好きな師匠だが、久々だ。
寄席では出番によってそれぞれ求められる仕事をしっかりこなす。もちろんトリなら大ネタで仕事を。

この日も楽しませていただいた隅田川馬石師は、雲助師の二番弟子。
馬石師が好きな人なら、その師匠もきっと好きに違いない。
惣領弟子の桃月庵白酒師だと、爆笑派だからちょっとスタイル違うけど。

私が最後でございますのでもうしばらくのご辛抱を。このぐらいの辛抱ができないようでは人間なにをやってもものになりませんと。
若い娘の恋わずらいはいいものです。年寄りの恋わずらいはいただけませんがと振ってから本編へ。
恋わずらいというと崇徳院だが、幾代餅であった。若い男の恋わずらいだ。
幾代餅、別に珍しい噺ではないがトリネタであり、寄席では久々に聴く。

錦絵の幾代太夫に恋わずらいで床につく搗米屋の若い衆、清さん。
親方に言いくるめられ、1年後に幾代に会うことを楽しみに、必死で働く。
1年後、15両持って吉原に出向き、奇跡的に幾代に会える清さん。それだけでなく、真心が通じ、幾代のほうからお嫁さんにしてくんなますかと頼まれる。
あり得ない噺だが、ヤブ医者の藪井竹庵が遊びの通であることなど、かつて存在した廓の現実にフックが掛かっている。
人を幸せにする、純愛ファンタジー。

仲入り前の小里ん師もそうだが、雲助師に噺家自身のマクラというものはない。昔のやり方。
落語会でご自身のマクラを聴いたことはあるが、寄席ではあまりやらないと思う。
だが、「マクラを省略した」というイメージはまるでない。噺に何かが欠けているというモードではない。
それはもう、登場からこの師匠の語りに引きこまれているから。
雲助師は融通無碍なひとであり、客に圧を掛けて引き込むようなスタイルではない。
といって、ぼそぼそ喋っているうちに客がなんだろうと身を乗り出してくるタイプでもない。
バランス最高のいい形が高座の上にしっかりとある。

形をいうと、女が実にいい。おかみさんと、幾代太夫。
現実世界でどうかではなくて、落語世界において実にリアルな女性描写。

年季明けの幾代が搗き米屋にやってくる。
声を掛けられた小僧の定吉が慌てて飛び込んでくる。「来ました」。
親方は「税務署か」。
なくたってよさそうなつまらんギャグに、いたく感心してしまった。
実にほどがいいのである。
クスグリでウケる必要などない場面。
でも、緊迫したシーンでもない。この後の楽しい場面を先取りしてちょっとだけ茶々を入れるギャグ。
もう1か所そんなのがあったが忘れた。
まあ、こんなところに感心しているのは、演者の狙いに反してしまうと思うのだけど。

なんでそんな細かい部分を取り上げているのかというと、あまり書くことがないから。
私の満足度自体は、果てしなく高いものであったのだが。
だがあまりにもスキのない芸なので、どうしても記憶に残らない。
でも、スキはないのに決してカチッとしていなくて、終始緩いのだよなあ。この緩さと固さのほどのよさが絶妙。他に類のないスタイル。

今回の国立、かなりよかったです。
決して好きな演芸場ではなくて、最近は真打の披露目でしか来ていなかった。
でも、普通の定席もいいものだ。

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作成者: でっち定吉

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