小言幸兵衛

「日常」に、おかしな事象、おかしな人物を放り込むと落語になる。私はこう理解している。
この定義にオリジナリティはたぶんないと思う。落語に限らず物語の作り方は同じようなものだから、似たようなことを言ってる人はたくさんいるでしょう。
平和な長屋の日常に、小言のうるさい大家を配置すると古典落語「小言幸兵衛」ができあがる。
この大家、単に小言の多い人ではない。長屋の日常を捻じ曲げる怪力の持ち主である。

最初に長屋を借りにくる、いかにも江戸っ子な豆腐屋に、セクハラ発言で立腹させるところはまだまだ。
ここは豆腐屋の啖呵と夫婦愛を味わうところだ。
二番目の来客、腰の低い仕立職人を迎え撃つところから、ハイパー妄想ワールドに飛び込んでしまう。
妄想の中で長屋に心中事件を生み出し、だからおたくに長屋は貸せないと。
仕立屋さん、かわいそうに逃げ出すこともかなわず、なおも不条理な世界に付き合わされる。

先日、録画しておいた柳亭小燕枝師の「小言幸兵衛」を見た。品がよく、ほどがよくて好きな師匠です。
見ていてオヤと思った。仕立屋を追い返した際、これじゃいつまでたっても借り手が見つからないと嘆くおかみさんに幸兵衛氏が説明している。
「もともと1軒2軒空けといても暮らしに困るわけじゃないんだ。貸札を貼っておけば、いろいろ面白い人がやってきて楽しめる」

へえ、そういう解釈もあり得ますね。
ただ、個人的には幸兵衛さんの行動原理は謎のままのほうが好きだ。理解できてしまうと安心はするかもしれないけど、日常を捻じ曲げる落語パワーは減少する。
「つる」の大家さんも、知ったかぶりなのか八っつぁんをからかっているのかわからないのが好き。
八っつぁんのほうも、冗談だとわかったうえで友だちに話しにいこうとする演出は味気ない気がする。

いずれにしても、「小言幸兵衛」、噺のハイライトは二番目の客にある。
三番目の客である鉄砲鍛冶を迎えると、あとはすらすら進み、ポンポンとサゲになる。
繰り返しのネタにはメリハリが大切だ。
これは「片棒」などもそう。二番目にやってきた次男が妄想ワールドで大暴れし、ケチ兵衛さんが突っ込んだところで、三男に場面が変わるとトントンと下げに向かう。
短くても、カットしたら噺の骨がなくなってしまうから、大事だと思う。
小言幸兵衛の場合、幸兵衛氏が捻じ曲げた空間に聴き手がなじんできたところで、鉄砲鍛冶がもうひとつ捻じり直す役目を負っているのだろう。

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You Tube で小言幸兵衛を聞き比べてみた。
思った以上に、仕立屋のくだりで切ってしまっている、つまり鉄砲鍛冶が出てこない音源が多くて驚いた。
「ウケたところでやめちゃえ」という教えも落語界にあるのだから、間違ってはいないんだろう。
ただ、噺の構成としては、やはり三人出てきてほしい気がする。

面白かったのが、先代(四代目)の春風亭柳好の録音。「川崎の師匠」と呼ばれた人だ。
くすぐりも面白い。

豆腐屋「このあすっぺらかすめ」
幸兵衛「婆さん、あすっぺらかすってどんなかすだ。あまり聞いたこたないね」
・・・
豆腐屋「まごまごしてるとてめえの土手っ腹蹴破って、トンネルぶち抜いて、汽車ア叩っこむぞ!」
幸兵衛「婆さん、大丈夫だ。帰っちゃったよ。驚いたね大変な野郎だね。最後に言ったの聞いたかい。俺の土手っ腹蹴破って、トンネルぶち抜いて、汽車ア叩っこむってよ」
婆さん「そうするとお爺さん、胸のあたりが熱海だね」

いにしえのくすぐりなんですね。
ネタ元が、難工事で有名だった丹那トンネルだ。

仕立屋のくだりも面白い。
心中相手のお花の家、宗旨がキリスト教なのだ。

幸兵衛「(心中のシーンで讃美歌を歌う)
仕立屋「キリスト様では心中になりませんかな」
幸兵衛「イエス」

今でも使えるギャグと思うんですけどね。
寄席でよくかかる「宗論」も、息子がたいていキリスト教徒だし。

鉄砲鍛冶の出方も変わっていて、この人はたまたま長屋を借りに来たのではなく、因業な小言幸兵衛を脅かしてやるために日を置いてやってくる。
ただ、ぼそぼそっと語る柳好師の幸兵衛、あまり嫌みがないので、「やり込めてやった」という爽快感は特にない。このあたりが、今に残っていない理由かもしれない。

作成者: でっち定吉

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