堀之内寄席3 その4(瀧川鯉八「長崎」下)

瀧川鯉八「やぶのなか」収録

元カノの噺はしないでと言っているのに、言葉の端々に、その思い出がぽろっと出てくる無神経な男。
中華街でちゃんぽんと皿うどんを食べようとすると、前回もふたつ頼んでシェアしたんだよと言ってしまう男。
女は空腹だが、ちゃんぽんを食べずに店を出る。
次にトルコライス発祥の喫茶店に連れていかれるが、またしても同じことをやらかす男。
ストーリーは、サゲを除いて後半が記憶にない。別の喫茶店でフルーツサンドを食べた後、どうしたんだっけ? 観光するんだっけ?
寝ていたわけじゃない。かなり入り込んで聴いていた。
でも、別に無理に思い出したいとも思わない。ストーリーに価値がある噺じゃないのだ。

それにしても、すごい語り。
鯉八さんは、他の噺家のように芝居に近い「演技」をしない。登場人物になりきらないのである。
使っているのは別の方法論。棒読みのようなセリフ回しなのに、なぜか常に歌い調子。
だから、ベテランの噺家を聴いた客が心揺さぶられるような、そういう入り込み方はしない。でも、そこにはちゃんと鯉八ワールドがある。
違う演技論なのに、噺が生き生きしていて、そこに引き込まれる。
しかし客が入り過ぎないように、ところどころでこの噺は全部冗談なんですよというサインを出す。
冗談だということを思い出しても、客は白けることはない。あ、そうだったと鯉八さんに感謝する。
そのサインとしてこの噺では、登場人物の男が繰り返し使うのが「失敬失敬」。
女のほうも、手を伸ばして「ずこー」と言い、男との会話でずっこけたさまを表現する。
その結果、すべてが冗談なのに、ストーリーの中では男女が真面目に行動しているという、実におかしな世界ができあがる。
客は、真剣なストーリーを追いつつ、でも自分がどこからそのさまを眺めているのかを自覚して、距離を置いて楽しむ。
昔読んだ、ボリス・ヴィアンの「うたかたの日々」を思い出した。遠いけど。

こういうスタイルの先駆者、そういえばひとりいた。
鯉八さんの兄弟子である、春風亭鯉枝師。だが、溢れる才能に押し潰されたのか、北海道に引っ込んでしまった。

若い女が喋っていたのが、気づくと口調が変わっている。
お墓の前の婆さんに戻って、オチがついて、不思議な噺は幕を閉じる。
特異なスタイルの中に、ちゃんと技術面の裏付けを持っている鯉八さん。
この噺、また聴きたい。

とても楽しい3席でした。
どこかのおじさんが会の関係者に、感に堪えたように「今日は楽しかったよー」と声を掛けていた。
同感です。

翌日は東京駅のKITTEで、昔昔亭喜太郎さんの無料の会があった。
仕事が暇なので行こうと思ったのだが、ちょっと交通混乱があって断念した。
でもそれほど残念じゃない。それだけこの日の会が素晴らしいものだった。
真剣に(真面目に、ということではない)落語を聴いて、結構疲れたというのもある。

堀之内寄席は毎月23日です。茶菓子付き500円。
前は座布団。後ろは椅子席。
落語芸術協会の二ツ目さんが交代で出演します。
粗忽落語の「堀の内」の舞台であるお祖師様がここ妙法寺。つまり落語の聖地。
丸ノ内線の新高円寺から12分。地図では近そうに見えるものの、山門は敷地の南側で、駅からはもっとも遠い場所。
そして道はわかりづらい。
東高円寺駅からは15分。環七を挟むものの、こちらのほうが若干わかりやすい。
環七沿いのバス停「堀の内」がとても便利です。

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作成者: でっち定吉

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