黒門亭19(中・柳亭小燕枝「天災」)

橘家文吾「磯の鮑」

二ツ目枠は文蔵師の一番弟子(師のツイッターによると、番犬1号)、橘家文吾さん。
前座のかな文時代に一度聴いているのだが、その際は普通に上手い人だなと思った程度。
そのわずかなイメージを、軽く吹き飛ばす見事な一席。
すばらしく声のいい人。そのようなイメージを持っていなかった。発声についても上達したらしい。
鼻に掛かる高い、通る声がすばらしい。極めて官能的な発声。
現役の噺家だと、柳家緑君さんがこのようなすばらしい声の持ち主。故人だと、古今亭右朝。
文吾さん、登場人物の熊さん(若い衆)にこの声で話させる。
いっぽう、熊さんと話をする与太郎は、さらに鼻に被せてくる声で喋るのだ。こちらは官能的ではないアホ声。
声だけでしびれます。

若い衆がワイワイやってるところに顔を出す与太郎。若い衆たちは女郎買いの話をしている。
遊びの話だと聴き、興味を持つ与太郎を熊さんが騙して、「女郎買いの師匠」のところに行けと手紙を書いてやる。
そんな師匠、いないけども。
なんの噺だっけ? まるっきり聴いたことがないわけでもないが珍しめ。
師匠のところでキーワード「磯の鮑の片思い」が出てきて、ようやく演題がわかる。

与太郎の暴走っぷりに、客も楽しく寄り添う素敵な進行。
今はなき廓の隅々まで詳細な描写があって、これだけでも価値のある噺。
どこまで行っても楽しそうな、底を見せない与太郎。また、与太郎をやっているときの文吾さんの顔がいいのだ。
与太郎は、口を開く前に必ず動作が入る。客が次を予期したところでセリフが被さるので、実に楽しい。
与太郎でもって若い衆、先生とみんなが遊ぶのであるが、当の与太郎はどこまでも楽しそう。
廓×与太郎というのは落語界における素晴らしいコラボだ。「錦の袈裟」がそうですね。
文蔵師はなぜか廓噺をやらないが、弟子はやるのだな。

柳亭小燕枝「天災」

お目当てのひとり、小燕枝師。この師匠の高座姿を眺めているだけでなんともいえない幸せな気持ち。
禁煙の話。
何年か前に健康を考え禁煙したが、なぜか声が出なくなる。
医者に相談したが、もうお年もお年だし、今さら禁煙しても意味ないんじゃないですかと。
週に2~3本ぐらい吸ってみたらどうですかと言われ、そうしたら見事に声が出たのだそうな。
ただ、最近ひどい風邪を引いた。なのでタバコは吸っていない。声が出ますかどうかだって。

乱暴な八五郎が「離縁状書いてくれ」と大家の元にやってくる。天災ですね。
いい噺に当たった。
教養を下敷きにした古典落語は、とても楽しいものだ。

小燕枝師、「れえん状をりゃんこくれ」って言わない。
八っつぁんも、母親を蹴飛ばしたりしない。
八っつぁんを下品に描く芸ではないのだ。でもそんなやり方、意外とないと思う。
下品に描かなくても、八っつぁんの動物的側面はしっかり出ているのである。

これはかなり驚いたのだが、紅羅坊奈丸先生に教えを受ける八っつぁんの気持ちの変遷が、実によくわかる。
八っつぁんが、ごく自然に教えを受け、そしてなにかしらをつかむまでが、手に取るようだ。
どの天災にだって、八っつぁんが、本当は喧嘩なんてしたっていいことはないというセリフはある。
小燕枝師の八っつぁん、そのセリフが真に肚から出ている。噺の進行のために無理に得心したような、無理な感じがかけらもない。
ごくごく単純な演出では、「先生の言っていることを曲解して理解する、どこまで行っても乱暴な八っつぁん」だと思うのだ。
小燕枝師のもの、そうじゃない。あくまでも八っつぁんなりに心学を理解したことが、ちゃんと客に伝わる。
これは、紅羅坊先生がしっかりと動物的な八っつぁんに丁寧に向かい合っているからこそだ。
ちゃんと人間同士の一瞬の交流が描かれているのである。ディスコミュニケーションの噺じゃないのだ。
人情噺の風情すら湧いてくるではないか。

瓦を落とす無住の家に、八っつぁんが新しい住人が来るのを待って怒鳴り込むというくだりはカット。
いい編集だなあ。
サゲももったい付けず実にサラッとしている。
ここ2年ほど、小燕枝師を聴きに黒門亭に来ているのだが、お年を召したこの師匠、どんどん水のような味わいになっていく気がしている。
芸能人も血液クレンジングなど怪しい施術を受けていないで、小燕枝師の落語を聴いたほうが血液サラサラになっていいと思うよ。

続きます。

作成者: でっち定吉

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